宇都宮直賢
本籍鹿児島県。東京府で鉄道省技師・宇都宮新の二男として生まれる。加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付となる。1925年(大正14年)4月から1926年(大正15年)3月まで東京外国語学校英語科で委託学生として学んだ。 1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を卒業した。
1930年12月、近衛歩兵第4連隊中隊長に就任。1931年(昭和6年)9月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(米班)、参謀本部付(支那研究員、上海・香港駐在)、参謀本部付(上海武官補佐官)、陸軍省兵務局付(防諜班長)を務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵中佐に昇進。
1939年(昭和14年)3月、中支那派遣軍参謀(渉外部長)に発令され日中戦争に出征。同年9月、支那派遣軍参謀(渉外部長)に転じ、1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に昇進。同年7月、ブラジル大使館付武官に発令され、1942年(昭和17年)8月に帰国。同年9月、第14軍軍政監部総務部長兼同軍参謀に発令され、太平洋戦争に出征。第14軍参謀副長兼フィリピン大使館付武官、南方軍参謀を経て、1944年(昭和19年)10月、第14方面軍参謀副長に転じ、1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に昇進した。フィリピンの戦いを遂行し終戦を迎えた。 1946年(昭和21年)12月に復員した。
戦後、1949年(昭和24年)3月から1968年(昭和43年)4月まで在日米軍語学校の教官を務めた。
反応