大平秀雄

大平秀雄

香川県出身。農業・大平万太良の二男として生まれる。三豊中学校(現香川県立観音寺第一高等学校)卒業を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第22連隊付となる。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を卒業し歩兵第22連隊中隊長に就任

1932年(昭和7年)12月、参謀本部付勤務となる。以後、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、中国駐在(南京、香港)を経て、1936年(昭和11年)8月、歩兵少佐に進級。1937年(昭和12年)4月、歩兵第27連隊大隊長に就任し、同年10月、第2軍参謀に発令され日中戦争に出征。1938年(昭和13年)7月、歩兵中佐に昇進し、同年11月、第21軍参謀に就任。1939年(昭和14年)9月、陸大教官に発令され帰国。1941年(昭和16年)8月、陸軍大佐に進んだ

1941年10月、大本営報道部長に就任。1942年(昭和17年)3月、歩兵第239連隊長に発令され臨汾に駐屯。1943年(昭和18年)3月、近衛第2師団参謀長に発令され太平洋戦争に出征し、スマトラ島の警備を担った。1944年(昭和19年)4月、第25軍参謀に転じ、1945年(昭和20年)6月、陸軍少将に進んだ。同年7月、陸軍歩兵学校付に発令され帰国。同年8月、東部軍管区参謀副長に就任。同年10月、東京連隊区司令官となり、同年12月に復員した

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