岡崎清三郎
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岡崎 清三郎(おかざき せいざぶろう、1893年(明治26年)3月17日 – 1979年(昭和54年)5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
島根県出身。松江市で岡崎竜次郎の三男として生まれる。松江中学校を経て、1914年5月、陸軍士官学校(26期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第63連隊付となる。1921年11月、陸軍大学校(33期)を卒業した。
参謀本部付勤務、参謀本部員などを経て、1925年5月、皇族(秩父宮雍仁親王)付武官となり、秩父宮の外遊(オックスフォード大学)に随行した。参謀本部員(編制班)、ジュネーヴ出張、陸軍省整備局課員(統制課)、兼参謀本部員、上原勇作元帥副官(近衛歩兵第3連隊付、歩兵第59連隊付)、留守第4師団参謀長などを経て、日中戦争に支那駐屯歩兵第2連隊長として出動。陸軍歩兵学校研究部主事などを経て、1939年8月、陸軍少将に進級。
歩兵学校幹事、教育総監部第1部長、同部総務部長、参謀本部付を歴任し、太平洋戦争に第16軍参謀長として出征し、ジャワ島攻略などに従事。1942年12月、陸軍中将に昇進。第2師団長、軍需官(近畿軍需管理部長)などを経て、本土決戦に備え第2総軍参謀長として広島に駐在していたが、1945年8月の原爆投下により重傷を負い終戦を迎えた。
生誕 |
1893年3月17日 大日本帝国 島根県 |
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死没 |
日本 |
1979年5月27日(86歳没)
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914 – 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
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