岡田菊三郎

岡田菊三郎

京都府出身。岡田安次郎の二男として生まれる。大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第9連隊付となる。台湾歩兵第2連隊付などを経て、1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業した

1928年(昭和3年)3月、歩兵第9連隊中隊長に就任。1929年(昭和4年)3月、独立守備隊司令部付となり、歩兵第9連隊副官、第16師団参謀、関東軍司令部付(満州国軍軍事顧問)を務め、1933年(昭和8年)12月、歩兵少佐に進級。1935年(昭和10年)1月、陸軍省整備局課員となり、同年3月、内閣資源局課員を兼務した。1937年(昭和12年)11月、歩兵中佐、1939年(昭和14年)8月、歩兵大佐に昇進した

1939年9月、支那派遣軍司令部付に発令され日中戦争に出征。1940年(昭和15年)3月、整備局戦備課長に就任。1943年(昭和18年)3月、第15師団参謀長に発令され中国戦線に出征し、その後、ビルマに転じた。同年8月、陸軍少将に進級。インパール作戦に参戦。1944年(昭和19年)10月、陸軍燃料本部付に発令され、同年12月に着任。1945年(昭和20年)3月、軍需省軍需官(火薬対策班長)に就任し終戦を迎えた。同年12月、予備役に編入。その後、1947年(昭和22年)1月まで復員官を務めた

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