落合甚九郎
栃木県出身。栃木中学校(現栃木県立栃木高等学校)卒業を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第59連隊付となる。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した。
1928年(昭和3年)8月、陸士付となり、さらに同教官を務め、1929年(昭和4年)8月、歩兵少佐に昇進。1930年(昭和5年)2月、応聘により支那出張となり北京陸軍大学教官に就任。1931年(昭和6年)3月、第7師団司令部付となり、歩兵第26連隊付、支那駐屯軍司令部付を経て、1934年(昭和9年)8月、歩兵中佐に進み第2師団参謀に就任。1936年(昭和11年)8月、陸士付(支那留学生隊長)に就任。1937年(昭和12年)8月、兵科を航空兵に転科し航空兵中佐となり第109師団参謀となり日中戦争に出征。1938年(昭和13年)2月、同師団参謀長に就任し、同年3 月、航空兵大佐に昇進した。
1939年(昭和14年)12月、東部防衛参謀に就任し、東部軍参謀を経て、1940年(昭和15年)9月、第11軍司令部付(漢口特務機関長)となり、1941年(昭和16年)3月、陸軍少将に進んだ。同年6月、支那派遣軍司令部付(興亜院華中連絡部次長心得)に転じ、支那派遣軍総参謀副長兼中国大使館付武官を経て、1944年(昭和19年)5月、第27師団長心得に就任。同年6月、陸軍中将に進級し第27師団長に就任。南昌の警備活動中に終戦を迎えた。
その後、BC級戦犯の容疑で逮捕され、1948年(昭和23年)5月、無期禁固の有罪判決を受け、1952年(昭和27年)8月、巣鴨拘置所から釈放された。
反応