木村松治郎
木村 松治郎(きむら まつぢろう、1894年(明治27年)9月11日 – 1950年(昭和25年)1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
奈良県出身。1915年(大正4年)5月25日、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月25日、歩兵少尉に任官し歩兵第31連隊付となる。1926年(大正15年)12月7日、陸軍大学校(38期)を優等で卒業。
アメリカ駐在などを経て、1935年(昭和10年)3月、参謀本部員兼陸大教官となり、1937年(昭和12年)11月、歩兵大佐に昇進。1938年(昭和13年)7月、歩兵第57連隊長に就任。1939年(昭和14年)9月、ノモンハン事件後に第23師団参謀長となり師団再建に尽力。1940年(昭和15年)8月、留守第7師団司令部付に発令。同年12月2日、陸軍少将に進級し北部軍参謀長に着任し太平洋戦争を迎えた。
1943年(昭和18年)2月11日、北方軍参謀長に転じ、同年8月、同軍情報部長を兼務。1944年(昭和19年)3月1日、陸軍中将に進み、同月10日、第5方面軍参謀長に就任。同年12月26日、第4師団長に親補されスマトラ島に赴任。ビルマ方面の戦局悪化に伴い、第15軍隷下となり、タイのランパンに進出したが、同地で終戦を迎えた。
生誕 |
1894年9月11日 日本 奈良県 |
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死没 | 1950年1月24日(55歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1915 – |
最終階級 | 陸軍中将 |
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