田中信男 (陸軍軍人)
田中 信男(たなか のぶお、1891年(明治24年)10月30日 – 1966年(昭和41年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
本籍・広島県、東京府出身。陸軍中佐・田中信良の息子として生まれる。東京府立一中、中央幼年学校予科、中央幼年学校本科を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第3連隊付となる。
1917年(大正6年)8月、習志野俘虜収容所員となる。以後、浦塩派遣軍司令部付、歩兵第3連隊中隊長、独立守備歩兵第4大隊中隊長、熊本陸軍教導学校学生隊中隊長などを歴任。1929年(昭和4年)8月、歩兵少佐に昇進。
1930年(昭和5年)8月、近衛歩兵第2連隊大隊長に就任。満州事変においては,馬占山討伐部隊の指揮を執り,国民的な英雄となる。以後、歩兵第15連隊大隊長、歩兵第18連隊付(岡崎師範配属将校)などを務め、1934年(昭和9年)8月、歩兵中佐に進んだ。さらに、関東軍司令部付、独立歩兵第51連隊大隊長を歴任。
ビルマ収容時期の田中信男
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生誕 |
1891年10月30日 大日本帝国 東京府 |
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死没 |
日本 |
1966年12月4日(75歳没)
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912 – 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
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