長井満
長井 満(ながい みつる、1895年(明治28年)1月16日 – 1978年(昭和53年)12月13日)は、昭和期の大日本帝国海軍軍人。
最終階級は従四位勲二等海軍少将。福井県丹生郡殿下村(現福井市風尾町)出身。長井斎藤別当実盛の後裔と伝える浄土真宗勝鬘寺の長井真応住職の四男。長兄に仏教学者長井真琴博士、三兄に真向法の創始者として知られる長井津がいる。弟の長井洗は陸軍中佐。
東京府立第四中学校を経て、1917年(大正6年)11月、海軍兵学校(45期)を卒業。卒業席次は89名中5位(首席は皇族の名誉席次であり、実質上の4位)で、優等生として恩賜品を下賜されている。1918年(大正7年)8月1日、海軍少尉に任官。1920年(大正9年)12月1日、海軍中尉、1923年(大正12年)12月1日には海軍大尉に昇進。1924年(大正13年)、海軍水雷学校高等科を卒業、優等生(1名)に選ばれ、またも恩賜の栄に浴する。
後列中央が長井
(回天轟隊隊員との記念写真) |
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生誕 | 1895年1月16日 |
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死没 | 1978年12月13日(83歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1917 – 1945 |
最終階級 | 海軍少将 |
除隊後 | 回天顕彰会副会長・大阪支部長 |
墓所 | 福井県福井市風尾町勝鬘寺 |
反応