オリヴィア・デ・ハヴィランド
オリヴィア・デ・ハヴィランド(Dame Olivia De Havilland, DBE、1916年7月1日 – )は、アメリカ合衆国の女優。東京府生まれ。女優としてのキャリア初期には清純な娘役を演じることが多かったが、キャリア後期には存在感のある重厚な役柄を演じている。デ・ハヴィランドはイギリス人の両親の間に日本で生まれた。妹のジョーン・フォンテインも日本の生まれで、デ・ハヴィランドと同じく女優の道に進んでいる。1919年に一家は日本を離れて故国イギリスへと向かったが、旅の途中で姉妹が病にかかったため滞在中のカリフォルニアに、母子だけがそのまま移住した。
デ・ハヴィランドが出演した映画のなかでもっとも有名な作品として『風と共に去りぬ』(1939年)が挙げられる。映画作品ではエロール・フリンの相手役を演じることが多く、『ロビンフッドの冒険』(1938年)、『無法者の群 (en:Dodge City)』(1939年)、『カンサス騎兵隊』(1940年)、『壮烈第七騎兵隊』(1941年)など、8作品で共演している。
デ・ハヴィランドは『遥かなる我が子』(1946年)と『女相続人』(1949年)で、アカデミー主演女優賞を2度受賞している。妹のジョーン・フォンテインも『断崖』(1941年)でアカデミー主演女優賞を受賞しており、2013年現在時点でアカデミー主演賞を獲得した唯一の兄弟姉妹となっている。アカデミー賞のほかにデ・ハヴィランドは『蛇の穴』(1948年)でナショナル・ボード・オブ・レビュー主演女優賞、ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞、ナストロ・ダルジェント賞最優秀外国女優賞、ヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞している。また、ゴールデングローブ賞では『女相続人』(1949年)で主演女優賞(ドラマ部門)を、『アナスタシア/光・ゆらめいて』(1986年)で助演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)をそれぞれ受賞している。1960年には、それまでの映画界への貢献が讃えられてハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにプレートが設置された。2008年には当時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュから、芸術分野の顕彰としてはアメリカ最高位の国家芸術メダル (en:National Medal of Arts) が贈られている。2017年6月、大英帝国勲章(DBE)を受章した。
オリヴィア・デ・ハヴィランドは、第一次世界大戦中の1916年7月1日に日本の東京(現在の東京都港区)で、イギリス人の両親の間に生まれた。
1945年ごろに撮影された宣材写真
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本名 | Olivia Mary de Havilland | ||||||||||||
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生年月日 | 1916年7月1日(103歳) | ||||||||||||
出生地 | 日本、東京府東京市 | ||||||||||||
国籍 |
イギリス アメリカ合衆国 |
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職業 | 女優 | ||||||||||||
活動期間 | 1935年 – 2009年 | ||||||||||||
配偶者 |
マーカス・グッドリッチ(1946年 – 1953年) ピエール・ギャラント(1955年 – 1979年) |
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著名な家族 |
ウォルター・オーガスタス・デ・ハヴィランド(父親) リリアン・フォンテイン(母親) ジョーン・フォンテイン(妹) |
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主な作品 | |||||||||||||
『風と共に去りぬ』(1939年) 『遥かなる我が子』(1946年) 『女相続人』(1949年) |
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反応