クライド・ドレクスラー
クライド・オースティン・ドレクスラー(Clyde Austin Drexler, 1962年6月22日-)はアメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の元バスケットボール選手。アメリカNBAで活躍し、1998年引退。ポジションは主にシューティングガード。
NBA屈指のダンカーであり、ニックネームは「クライド・ザ・グライド」。グライダーの滑空にもたとえられたスラムダンクはドレクスラーのトレードマークであった。1992年バルセロナオリンピックバスケットボール代表に選出され、金メダリストとなる。オールNBA1stチームに1回(1992年)、同2ndチームに2回(1988年、1991年)、同3rdチームに2回(1990年、1995年)選出されている。NBA優勝経験1回。1996年には、NBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の一人に選ばれた。1998年に引退、2004年にバスケットボール殿堂入りを果たした。選手生活の平均得点は20.4点、通算得点は22,195点。身長201cm。
高校時代、それほど目立たなかったドレクスラーが名門ヒューストン大学に入学できたのは理由があった。当時既に大学で注目を集めていたマイケル・ヤング(後にボストン・セルティックスに1巡目24番目指名)による「高校時代最も手強かった相手」との言葉を聞いた大学幹部が獲得に動いた為だ。
ヤングの言葉通りドレクスラーは、1年目から頭角を現しチームに欠かせない選手となり、2年目にはすでにNBAも注目する大スター選手へと成長を遂げていた。当時のヒューストン大学は「ファイ・スラマ・ジャマー」(Phi Slama Jama)と呼ばれるダンク集団であり、その中心にいたのが元NBA屈指の名センター、アキーム・オラジュワンとドレクスラーだった。名ダンカーがひしめくチーム内においてもドレクスラーの滞空時間の長いダンクは特に際立っていた。
2002年のドレクスラー
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引退 | ||||||||||||
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殿堂 | バスケットボール殿堂(2004年) | |||||||||||
永久欠番 | トレイルブレイザーズ 22 ロケッツ 22 | |||||||||||
ポジション(現役時) | シューティングガード | |||||||||||
背番号(現役時) | 22 (永久欠番) | |||||||||||
身長(現役時) | 201cm (6 ft 7 in) | |||||||||||
体重(現役時) | 95.3kg (210 lb) | |||||||||||
基本情報 | ||||||||||||
本名 | Clyde Austin Drexler | |||||||||||
愛称 | クライド・ザ・グライド | |||||||||||
ラテン文字 | Clyde Drexler | |||||||||||
誕生日 | 1962年6月22日(57歳) | |||||||||||
国 | アメリカ合衆国 | |||||||||||
出身地 | ルイジアナ州ニューオーリンズ | |||||||||||
出身 | ヒューストン大学 | |||||||||||
ドラフト | 1983年 14位 | |||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||
1983-1995 1995-1998 |
ポートランド・トレイルブレイザーズ ヒューストン・ロケッツ |
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指導者経歴 | ||||||||||||
1998-2000 | ヒューストン大学 | |||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||
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代表歴 | ||||||||||||
キャップ | 1992 | |||||||||||
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反応