大木金太郎
大木 金太郎(おおき きんたろう、1929年2月24日 – 2006年10月26日)は、大韓民国(日本統治時代の朝鮮)・全羅南道高興郡金山面出身のプロレスラー。本名は金一(キム・イル、김일)。身長185cm、体重120kg(現役当時)。生年については当初1933年と公表していた。1994年国民勲章石榴章、2000年体育勲章猛虎章、2006年体育勲章青龍章追叙。
シルム選手として活躍。
1958年に、同郷の英雄力道山に憧れて漁船で日本に密入国し、プロレス入りのチャンスをうかがっていたが、1959年に入管法違反で逮捕される。力道山が身元引受人となり、日本プロレスコミッショナーの大野伴睦代議士を動かしたことで釈放され、日本プロレスに入門して同年11月にデビュー。翌年にはジャイアント馬場とアントニオ猪木がデビューしており、「若手三羽烏」と称された。
1963年にアメリカ武者修行に旅立ち、ロサンゼルスのWWAでは日系アメリカ人レスラーのミスター・モトとのタッグチームで活動、12月10日にベアキャット・ライト&レッド・バスチェンを破りUSタッグ王座(後のWWA世界タッグ王座)を獲得するなどしたが、同年12月8日に力道山が刺され12月15日に死亡したことで、力道山を心の拠り所にしていた大木は居場所がなくなり、韓国へ一旦帰国した。韓国では「大韓プロレス」のエースとして、様々な企画を成功させ韓国プロレス界の発展に尽力した。
『プロレス&ボクシング』1962年4月号増刊より
|
|
プロフィール | |
---|---|
リングネーム |
大木 金太郎 キム・イル |
本名 | 金一 |
ニックネーム | 韓国の猛虎 |
身長 | 185cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | 1929年2月24日 |
死亡日 | 2006年10月26日(77歳没) |
出身地 |
韓国 全羅南道高興郡金山面 |
トレーナー |
力道山 ミスター・モト 芳の里淳三 |
デビュー | 1959年11月 |
引退 | 1995年4月2日 |
反応