グレート小鹿
![グレート小鹿 グレート小鹿](https://satch.tv/sat2022/wp-content/uploads/actor-200px/200px-great_kojika_2015.jpg)
グレート小鹿(グレート こじか、本名:小鹿 信也(こしか しんや)、1942年4月28日 – )は、日本のプロレスラー。北海道函館市出身。大日本プロレス会長。生年は1940年ともされる。長らく本名の姓の読みは「こじか」とされてきたが、75歳の誕生日を迎えた2017年4月28日、後楽園ホールでの自身の試合後に「こしか」であることを公表している。
幼少期に父が失明し、小学3年から行商をしながら家計を助けた。中学卒業後、北海道湧別町の缶詰工場に就職。17歳のとき、後を追いすがる家族を振り切り、一旗揚げたいという思いだけを持って函館駅を目指した。函館駅の青函連絡船の待合室で体格のよさを見込んだ九重親方の後援会の人に声をかけられて一緒に乗船。青函連絡船の船中、腹いっぱいご馳走され、上野駅到着後、後援会の人に連れられ出羽海部屋に入門することとなる。
1963年、相撲界を離れ日本プロレスに入団。同年5月9日(10月13日説もあり)、駒角太郎戦においてデビュー。当初は本名の小鹿信也として試合をしていたが、1964年からは豊登の命名により、小鹿雷三(こじか らいぞう)にリングネームを変更する。1967年に大熊元司とともに海外修行で渡米、南部のテネシー地区やジョージア地区などで活動。テネシーでは同年10月、同地区版のNWA世界タッグ王座を奪取している[10]。
1968年に大熊がホームシックで帰国した後も、フロリダ、デトロイト、ロサンゼルス地区などでシングルプレイヤーとして活躍[11]。卑怯なヒール戦法を駆使して憎まれ役としての存在感を発揮した。ロサンゼルスではミル・マスカラスと抗争を繰り広げ、1969年12月19日に金網デスマッチでマスカラスを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得[12]。翌年1月16日にロッキー・ジョンソンに敗れるまで保持した[13]。
プロフィール | |
---|---|
リングネーム |
グレート小鹿 カン・フー・リー 怪覆面G・K 小鹿 雷三 小鹿 信也 |
本名 | 小鹿 信也 |
ニックネーム |
極道鬼 コスプレ社長 |
身長 | 185cm |
体重 | 115kg |
誕生日 | 1942年4月28日(77歳) |
出身地 | 日本・北海道函館市 |
所属 | 大日本プロレス |
デビュー | 1963年 |
反応