フィオレンツォ・マーニ
自転車競技をスタートさせたのは1936年。1939年には世界自転車選手権のアマ・ロードにも出場した。
1941年にビアンキチームと契約してプロへ転向。
1948年のジロ・デ・イタリアにおいて、エンツォ・チェッキに対してわずか11秒の差ながらも退けて総合優勝を達成。
1949年、ツール・ド・フランス初出場。第10ステージから第15ステージまで総合首位に立った。一方、このツールでは、マーニはジーノ・バルタリとファウスト・コッピの2人のエースを要するイタリアチーム(当時、ツールは国・地域別対抗戦方式を採っていた)とは別チームである、カデット・イタリアチームの一員として参加していたが、第16ステージでバルタリとコッピの2人に完敗し、結局総合6位に終わった。
反応