マイク・ヘイルウッド
マイク・ヘイルウッド(Mike Hailwood, MBE 1940年4月2日 – 1981年3月23日)は、イギリス・イングランド出身のレーサー。フルネームはスタンレー・マイケル・ベイリー・ヘイルウッド(Stanley Michael Bailey Hailwood )。2輪レースで天才ライダーと賞賛されマイク・ザ・バイクというニックネームで呼ばれたほか、4輪レースでも活躍した。
1950年代から1960年代のモーターサイクルロードレースのロードレース世界選手権(世界GP)で活躍し9回のタイトルを獲得。1962年に22歳という最年少記録で500ccクラスのタイトルを獲得。これは1983年にフレディ・スペンサーが21歳という記録を達成するまで破られなかった。世界GPで3クラス(250/350/500cc)にわたりタイトルを獲得した初のライダーで、以後3クラス以上のタイトルを獲得しているのは現在のところフィル・リードとバレンティーノ・ロッシとマルク・マルケスを加えた計4人だけ。2000年にMotoGP殿堂入り。
20代半ばの時期にはイタリアのMVアグスタのエースとして500ccクラス4連覇などの圧倒的な成績を挙げているが、後からMVアグスタに加入したイタリア人のジャコモ・アゴスチーニがチームから後押しを受け始めたこともあり、1966年から日本のホンダに移籍。アゴスチーニと激しい戦いを繰り広げたものの、500ccクラスでのホンダのマシンの性能(特に操縦性)がMVアグスタに及ばなかったこともあり、500ccクラスの個人タイトルはアゴスチーニに奪われる結果となっている。ホンダは1967年限りで世界GPを撤退し、ヘイルウッドも主戦場を4輪レースに移したため、以後アゴスチーニは快進撃を続け、のべ15もの世界タイトルを獲得することになった。ただし実力はヘイルウッドの方が一枚上手と見る向きも多く、ヘイルウッドが一線級のマシンで2輪の世界GPに出場し続けていたら、アゴスチーニがあれほどの大記録を樹立できたかどうか分からないと言う意見[誰?]もある。
グランプリでの経歴 | |
---|---|
国籍 |
イギリス ( イングランド) |
活動期間 | 1958-1967 |
チーム | ホンダ、MVアグスタ |
レース数 |
178 125cc – 22 250cc – 52 350cc – 39 500cc – 65 |
チャンピオン |
9 250cc 1961,1966,1967 350cc 1966,1967 500cc 1962,1963,1964,1965 |
優勝回数 |
76 125cc – 2 250cc – 21 350cc – 16 500cc – 37 |
表彰台回数 |
112 (順位別) 1st – 76 2nd – 25 3rd – 11 (クラス別) 125cc – 6 250cc – 32 350cc – 26 500cc – 48 |
通算獲得ポイント | 858 |
ポールポジション回数 | N/A |
ファステストラップ回数 |
79 125cc – 2 250cc – 22 350cc – 18 500cc – 37 |
初グランプリ | 1958年 250cc マン島TT |
初勝利 | 1959年 125cc アルスターGP |
最終勝利 | 1967年 350cc 日本GP |
最終グランプリ | 1967年 350cc 日本GP |
反応