ニコライ・リムスキー=コルサコフ

ニコライ・リムスキー=コルサコフ

ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ(ロシア語: Никола́й Андре́евич Ри́мский-Ко́рсаков, ラテン文字転写: Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov, 1844年3月18日(ユリウス暦3月6日) – 1908年6月21日(ユリウス暦6月8日))はロシアの作曲家。ロシア五人組の一人で、色彩感あふれる管弦楽曲や民族色豊かなオペラを数多く残す。調性に色を感じる共感覚者であったといわれる

ノヴゴロド近隣のティフヴィンで、軍人貴族の家庭に生まれる。幼児期より楽才を顕すが、12歳でサンクトペテルブルクの海軍兵学校に入学し、ロシア海軍に進んで艦隊による海外遠征も体験した。1859年からピアノを始め、1861年にバラキレフと出会って、ようやく真剣に作曲に打ち込むようになる。バラキレフは、リムスキー=コルサコフが航海演習のない時に作曲の指導をして、励ましてくれた。バラキレフとの出会いによって、後の「五人組」の同人となる他の作曲家とも面識を得た。

交響曲第1番(1861年~1865年)は、まだ海軍在籍中に完成された。1865年の初演後、好評を博して「ロシア人による前代未聞の交響曲」と呼ばれた[注釈 1]。1873年に軍籍離脱するまでに、管弦楽曲『サトコ』の初稿(1867年)、『アンタール』の初稿(1868年)、歌劇『プスコフの娘』の初稿(1872年)を完成させている。これらの初期作品は、いずれも後年になって改訂された。

基本情報
出生名 Николай Андреевич Римский-Корсаков
生誕 1844年3月18日
ロシア帝国 ティフヴィン
死没 (1908-06-21) 1908年6月21日(64歳没)
ロシア帝国 リューベンスク
学歴 海軍兵学校
ジャンル クラシック音楽
国民楽派
職業 作曲家
編曲家

反応