ヨハン・フィリップ・キルンベルガー
ヨハン・フィリップ・キルンベルガーもしくはケルンベルク(Johann Philipp KirnbergerもしくはKernberg 1721年4月24日 – 1783年7月27日)は、ドイツの音楽家、作曲家(主にフーガを作曲した)、音楽理論家。
ザールフェルト生まれで、大バッハの弟子であった。1751年にはプロイセン国王フリードリヒ2世の宮廷ヴァイオリニストとなった。1758年からはプロイセン王国のアンナ・アマーリエ王女[注 1]の音楽監督となり、没するまでその任に当たった。彼はバッハを高く称賛しており、バッハの全コラール作品の出版を行うことを目指したが、それは彼の死後になって実現された(ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品一覧のBWV 690-713を参照)。バッハの手稿譜の多くがキルンベルガーの蔵書として保管されており、「キルンベルガー・コレクション」と呼ばれている。
彼は今日、「純正作曲の技法 Die Kunst des reinen Satzes in der Musik」(1774年-1779年)などの理論書によって最も知られている。鍵盤楽器の調律法で「キルンベルガー第2法」や「キルンベルガー第3法」などとして知られるものは彼に由来する。
キルンベルガーはベルリンに没した。
基本情報 | |
---|---|
生誕 |
1721年4月24日 神聖ローマ帝国(現: ドイツ)ザールフェルト |
死没 |
神聖ローマ帝国 プロイセン王国(現: ドイツ)ベルリン |
1783年7月27日(62歳没)
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、音楽理論家 |
反応