ヴァンサン・ダンディ
ポール・マリ・テオドール・ヴァンサン・ダンディ(Paul Marie Théodore Vincent d’Indy, 1851年3月27日パリ – 1931年12月2日パリ)はフランスの作曲家・音楽教師、指揮者。フランスの古い貴族の家系に属する。
幼い頃からピアノを学ぶが、一族を喜ばせるために法学を学ぶ。しかしながら、音楽家になることを決心しており、1870年に普仏戦争に従軍するが翌年帰還し、1872年にパリ音楽院に入学し、セザール・フランクの献身的な門人となった。音楽院卒業後に従姉妹のイザベラと結婚し、三人の子供が生まれた。1894年に、シャルル・ボルドやアレクサンドル・ギルマンに協力して、パリにスコラ・カントルムを創設し、没するまで同校ならびにパリ音楽院で音楽を指導した。門下に、サティ、ルーセル、アルベリク・マニャール、(後にダンディの評伝を書いた)ジョゼフ・カントルーブ、ボフスラフ・マルティヌーがいる。またギヨーム・ルクーはフランクに学んでいたが、フランクが亡くなったため、この若き弟弟子はダンディの門下となった。さらにルクーが夭逝し、未完で残された彼のチェロ・ソナタをダンディは補筆した。「作曲学教程 Cours de composition musicale」(1903年)の執筆に参加したほか、フランクやベートーヴェンに関する研究書を書いた。
ダンディの作品は、今日さほど一定して演奏されていない。最も有名な作品はおそらく「フランスの山人の歌による交響曲 Symphonie sur un chant montagnard français」ことピアノと管弦楽のための「セヴェンヌ交響曲 Symphonie Cévenole」(1886年)や、交響的変奏曲「イスタール Istar」(1896年)であろう。その他に、管弦楽曲や室内楽曲、ピアノ曲、歌曲、たくさんのオペラ(たとえば、1897年の「フェルヴァール Fervaal」など)がある。ダンディの作品は、フランクと並んでワーグナーからの影響を見せている(ダンディは1876年にバイロイト祝祭劇場において、「ニーベルングの指環Der Ring des Nibelungen」の初演に出席している。)
基本情報 | |
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出生名 | Paul Marie Théodore Vincent d’Indy |
生誕 |
1851年3月27日 フランス共和国 パリ |
死没 |
フランス共和国 パリ |
1931年12月2日(80歳没)
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
反応