エミール・デュラン
エミール・デュラン(Émile Durand, [emil dyʁɑ̃], 1830年2月16日 – 1903年5月7日)は、フランスの音楽理論家、教育者、作曲家。音楽理論家としての業績が最も知られる。
デュランはブルターニュ半島に位置するコート=ダルモール県サン=ブリユーに生まれた。その後、12歳の時に家族と共に南方のモンペリエへと移っている。1845年に15歳でパリ音楽院に入学し、シャルル=ヴァランタン・アルカンを兄に持つナポレオン・アルカンのクラスで学んだ。他にもフランソワ・バザンやジャック・アレヴィといった高名な教授陣に指導を受けた。1853年、デュランはカンタータ『Le Rocher d’Appenzell』でローマ大賞に輝いている。
デュランは1871年に師のバザンの跡を継いで、音楽院の音楽理論と和声学の教員となった。ここで彼はガブリエル・ピエルネ、クロード・ドビュッシー、カミーユ・エルランジェ、アーサー・ゴーリング・トーマスらを教えている。
基本情報 | |
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生誕 |
1830年2月16日 フランス王国 サン・ブリユー |
死没 |
フランス共和国 ヌイイ=シュル=セーヌ |
1903年5月7日(73歳没)
ジャンル | クラシック |
職業 | 音楽理論家、作曲家 |
反応