アラン・トゥーサン
アラン・トゥーサン (Allen Toussaint, 1938年1月14日 – 2015年11月10日)は、米国ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれのピアニスト、歌手、ソングライター、プロデューサー、アレンジャー。自らの演奏活動の他に、特に1960年代から70年代にかけて数多くのアーティストのプロデュース、作曲、編曲を手がけ、ニューオーリンズのR&Bシーンを影から支えてきた。彼が関わったアーティストは、アーマ・トーマス、リー・ドーシー、アーニー・ケイドー、ミーターズ、ラベル、ポール・サイモン、ザ・バンドなど、広範囲に渡る。
7歳のときにピアノを弾き始め、1952年、フラミンゴス(ドゥーワップのグループとは同名異グループ)を結成。このバンドにはギターにスヌークス・イーグリンが在籍していた。1955年、デイヴ・バーソロミューの目に留まり、ファッツ・ドミノ、スマイリー・ルイスらのセッションに参加するようになる。これを機に、セッション・ピアニストとして名を上げていった。そして1958年のリー・アレンのヒット”Walkin’ With Mr. Lee”のアレンジを担当してからは、編曲者としても評価を受けるようになる。同年、初のソロ作『The Wild Sound of New Orleans』も発表している。
1960年、トゥーサンはミニット・レーベルにディレクターとして迎え入れられ、彼のプロデュース、作曲による数多くのヒット曲が世に送り出されるようになった。その中にはジェシー・ヒルの「Ooh Poo Pah Doo」やベニー・スペルマンの「Fortune Teller」(ローリング・ストーンズのカバーでも有名)、アーマ・トーマスの「It’s Raining」、リー・ドーシーの「Working in the Coal Mine](1966)などがある。当時彼は、自分の母親の旧姓である”Naomi Neville”のペンネームで曲を書いていた。60年代トゥーサンは、インスタント、フューリーなどのレーベルでも同様の活躍をし、ニューオーリンズのシーンに大きな足跡を残した。また、1965年にはマーシャル・シホーンとサンス・レーベルを興している。
60年代は、自らの作品よりも他のアーティストのプロデューサーとして活躍したトゥーサンだが、70年代になると『From a Whisper to a Scream』(1970年)を始めとして、自己名義のアルバムを複数リリースした。『Southern Nights』(1975年)は、彼の代表作と言われている。アルバムに収められた「サザン・ナイツ」は1977年にグレン・キャンベルによってカバーされ、キャンベルのバージョンはビルボード・Hot 100で1位を獲得した。また1973年に「イエス・ウィ・キャン・キャン」をポインター・シスターズがカバーし全米11位を記録。
アラン・トゥーサン (2004年)
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基本情報 | |
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生誕 |
1938年1月14日 米国ルイジアナ州ニューオーリンズ |
死没 |
スペイン マドリード |
2015年11月10日(77歳没)
ジャンル | R&B、ブルース、ポップ、ジャズ |
職業 | ミュージシャン、歌手、ソングライター、プロデューサー |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1952年 – 2015年 |
レーベル |
ミニット・レコード リプリーズ・レコード ワーナー・ブラザース・レコード ナイノ・レコード ヴァーヴ・フォアキャスト・レコード ノンサッチ・レコード |
共同作業者 |
リー・ドーシー デイヴ・バーソロミュー エルヴィス・コステロ など |
反応