宮崎繁三郎
宮崎 繁三郎(みやざき しげさぶろう、明治25年(1892年)1月4日 – 昭和40年(1965年)8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
長男は、陸軍士官学校出身で元明治大学総長の宮崎繁樹。
岐阜県出身。岐阜中学(現岐阜県立岐阜高等学校)を卒業後、陸士(26期)を卒業、席次は737人中230番。歩兵第16連隊(新潟県新発田市)に配属された。本来であれば陸大に入学するのに必要な連隊長からの推薦も受けられない成績であったが、二度目の受験で合格し陸大36期を64人中29番で卒業した。
生誕 |
1892年1月4日 日本 岐阜県 厚見郡北島村(現・岐阜市) |
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死没 |
日本 東京都 世田谷区 |
1965年8月30日(73歳没)
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 – 1945年 |
最終階級 | 中将 |
除隊後 | 「陶器小売店岐阜屋」店主 |
反応