下田歌子

明治から大正時代にかけて活躍した歌人、女子教育者。

飯野吉三郎

「日本のラスプーチン」と呼ばれた新興宗教家。宗教団体「大日本精神団」を設立した。同じ岐阜県出身であった教育者・歌人である下田歌子のコネクションから、政財界や皇室にパイプを持つようになる。祈祷と予言を駆使し、絶大な影響力を…

内田銀蔵

歴史学者。日本の経済史における先駆者といえる。

辰野金吾

明治から大正にかけて活躍した建築家。周囲から「辰野堅固」とよばれた堅固な建築で、明治の文明開化期から様々な西洋建築物を建造。代表作は、東京駅や日本銀行本店の設計など。また、帝国大学工科大学学長、建築学会会長を務め、後進の…

青木繁

明治のロマン主義洋画家。28歳と若くして亡くなったこともあり、存命当時はほとんど無名だった。代表作は『海の幸』。

三島弥彦

日本初のオリンピック選手。明治時代に開催された1912年ストックホルムオリンピックに金栗四三とともに出場。100m、200m、400mに参加するも決勝進出を逃した。当時の団長であった柔道家・嘉納治五郎ともに、4年後のベル…

富岡鉄斎

『日本最後の文人』といわれた儒学者。また画家としても多くの作品を残しており、国の重要文化財にも指定されていたりするのだが、鉄斎本人は画家ではなく儒者としての立場を貫いた。

羽仁もと子

日本初の女性ジャーナリスト。報知新聞の校正係としてキャリアをスタート。自主的に書いた原稿により実力を認められ、ジャーナリストの職を自らのちからで掴み取った。自由学園創立者。

管野スガ

大逆事件で処刑されたひとり。幸徳秋水の愛人。

出口なお

宗教『大本(おおもと)』の二大教祖のひとり(もうひとりは出口王仁三郎)。

出口王仁三郎

宗教『大本(おおもと)』の二大教祖のひとり(もうひとりは出口なお)。

西周

日本近代哲学の祖。『万国公法』の訳刊、森有礼・福澤諭吉らと共に結成した明六社での活動など、日本における近代哲学の礎を築いた。

嘉納治五郎

『講道館柔道』の創設者。古来からの格闘技・柔術の技術体系を整え精神性を加えることで、世界中で親しまれている柔道を完成させた。その功績から『柔道の父』と呼ばれる。また国際オリンピック委員として日本のオリンピック初参加に尽力…

仮名垣魯文

幕末から明治にかけて活躍した戯作家。別号として鈍亭、猫々道人(みょうみょうどうじん)。また、コピーライターの元祖でもある。

津田梅子

女子英学塾(津田塾大学)創設者。日本人初の女子留学生として渡米した経験を活かし、自立した女性の育成のため、日本女子教育の基盤を整えた。2020年代に発行される新紙幣の5,000円札の肖像画に採用された。

石川啄木

明治時代の歌人、詩人。代表作は歌集『一握の砂』。

与謝野晶子

おもに明治から大正時代にかけて活躍した歌人。本名は与謝野志よう(よさのしょう)。夫は歌人・与謝野鉄幹。日露戦争に従軍した弟に向けて歌った『君死にたまふことなかれ』という一節はあまりにも有名である。代表作は歌集『みだれ髪』…

内村鑑三

キリスト教思想家。内村鑑三不敬事件により、教職を追われたことでも有名である。著書『代表的日本人』はあまりにも有名である。(内村は代表的な日本人として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮を挙げている)。

立見尚文

通称、立見鑑三郎。戦術指揮の天才として名高い。戊辰の北越戦争や明治の内乱、日清戦争と日露戦争などでことごとく活躍。特に、北越戦争で雷神隊を率いたゲリラ展開、日露戦争における黒溝台会戦の救援戦は、伝説的なエピソードして知ら…

栗野慎一郎

初代駐フランス特命全権大使。ハーバード大学留学中に、金子堅太郎や小村壽太郎と親交を結ぶ。ロシア政府に対して日露戦争の宣戦布告文を提出したのは、当時駐ロシア公使であった栗野慎一郎である。

金子堅太郎

伊藤博文の懐刀として明治憲法の起草に携わり、日露戦争では渡米し外交交渉・工作を行なうなど、明治の政治において多大なる功績を残す。教育者としても、日本法律学校(現日本大学)初代校長、二松学舎専門学校(二松學舍大学)舎長をつ…

井上馨

幕末は、同じ長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞らとともに、攘夷運動に参加する。明治維新後はおもに財政畑で腕をふるい、莫大な借金を背負い船出した明治新政府の財政建て直しに尽力した。

高橋是清

第20代内閣総理大臣。1936年の二・二六事件で暗殺される。自伝に『随想録』がある。

穂積八束

(1860~1912) 法学者。陳重の弟。愛媛県出身。東大教授。君権絶対主義の立場から民法典論争をまき起こし、民法実施延期派の急先鋒となる。また、美濃部達吉の天皇機関説にも攻撃を加えた。著「憲法大意」など。

渡辺辰五郎

裁縫教育に生涯をささげた。江戸の仕立屋に奉公にあがり、明治元年(1868)年季奉公を終えて郷里に帰り、仕立屋をしながら地域の子女に裁縫を教える。長南小学校をはじめに、千葉女子師範学校、東京女子師範学校などで裁縫を教授し、…

佐佐木信綱

(1872~1963) 歌人・国文学者。三重県生まれ。東大卒。父弘綱のあとを受け竹柏会を主宰、「心の華」(のち「心の花」)を創刊。温雅清新な歌風で、代表歌集に「思草」「豊旗雲」がある。また、万葉集の研究に功績を残す。

徳富蘇峰

(1863~1957) 評論家。熊本県生まれ。本名、猪一郎。蘆花の兄。民友社を創立し「国民之友」「国民新聞」を刊行。進歩的平民主義に立つ時論家として知られたが、日清戦争前後より国権主義に転じた。第二次大戦中は大日本言論報…

児島惟謙

(1837~1908) 明治時代の裁判官。宇和島藩出身。大審院長の時ロシア皇太子ニコライが襲われた大津事件の裁判にあたり、犯人津田三蔵の死刑を要求する政府の圧力をしりぞけて無期徒刑とし、司法権の独立を守った。

北里柴三郎

(1852~1931) 細菌学者。肥後の人。東大卒。ドイツに留学、コッホのもとで研究し、破傷風菌の純粋培養に成功、さらに血清療法を発見。帰国後、伝染病研究所長、のち北里研究所を創設。ペスト菌の発見者でもある。

島村抱月

(1871~1918) 文芸評論家・劇作家・演出家。島根県生まれ。本名、滝太郎。「早稲田文学」を復刊し、自然主義文学運動の指導者として活躍。また、文芸協会を創立。松井須磨子と芸術座を組織して新劇の民衆化に努めた。著「囚は…

横山大観

(1868~1958) 日本画家。茨城県生まれ。東京美術学校卒。本名は秀麿。橋本雅邦に学び岡倉天心の感化を受けた。菱田春草とともに朦朧体(もうろうたい)と呼ばれる画法を試み、近代日本画に一典型をつくった。日本美術院創設に…

内村 鑑三

(1861~1930) キリスト教思想家。江戸生まれ。札幌農学校在学時キリスト教に入信。日露戦争開戦にあたっては非戦論を唱えた。雑誌「聖書之研究」を創刊。従来の教会的キリスト教に対し無教会主義を主唱。著「基督(キリスト)…

頭山満

(1855~1944) 国家主義者。福岡生まれ。萩の乱に参加して入獄後、自由民権運動に参加。のち玄洋社を結成、国家主義に転じた。大アジア主義を唱えて大陸進出に暗躍し、黒竜会・大陸浪人などを支配する右翼の巨頭的存在となった…

佐久間象山

〔「ぞうざん」とも〕 (1811~1864) 幕末の兵学者・思想家。信州松代藩士。名は啓(ひらき)。象山は号。佐藤一斎に朱子学を学び江戸神田に象山書院を興す。蘭学・砲術に通じ、開国論を唱えたが、攘夷派のために暗殺された。…