六角義賢

通称は四郎。法名は承禎。官位は従五位下左京大夫。父は近江の守護・六角定頼。 1552年、父・定頼の死去にともない義賢は家督を相続、近江の名門・六角家の当主となった。その6年後には早くも長男・義弼(義治)に家督を譲り、自ら…

三好長慶

幼名は千熊丸。通称は孫次郎。初名は範長。おもな官位は、伊賀守、筑前守、修理大夫、従五位下、従四位下。 三好長慶は、管領・細川晴元の有能な重臣だった三好元長の息子として誕生したが、長慶が10歳のとき、元長の勢力拡大を疎む晴…

足利義輝

室町幕府十二代将軍・足利義晴の息子で、十三代将軍。 「剣豪将軍」のあだ名を持ち、剣は上泉信綱に教えを受け、塚原卜伝に奥義を授けられたほどの腕前だったという。幼名は菊童丸。初名は義藤。おもな官位は征夷大将軍、左近衛中将、正…

織田信包

織田信秀の息子で、織田信長の弟。 初名は信良。通称は三十郎。別名は信兼。号は老犬斎。主な官位は上野介、左中将、従三位。丹波国柏原藩の初代藩主でもある。 1569年、織田信長が北伊勢を制圧すると、兄・信長の命により長野氏に…

斎藤龍興

斎藤義龍の息子。祖父は斉藤道三。 幼名は喜太郎。通称は刑部大輔。別名は右兵衛大夫、義糺、義輔。1561年、父・義龍が急死したことを受け家督を継ぎ稲葉山城の城主となった。しかし、父の代から続いた織田信長による美濃侵攻にさら…

斎藤義龍

「美濃の蝮」こと斉藤道三の嫡男。 幼名は豊太郎。通称は新九郎。別名は利尚、高政、一色左京大夫。号は范可。おもな官位は、治部大輔、左京大夫、美濃守。 俗説では義龍は道三の実子ではなく、本当の父は美濃国守護・土岐頼芸で頼芸の…

尼子勝久

幼名は孫四郎。1553年に新宮党尼子誠久の息子(5男)として誕生したが、翌1554年、祖父・国久と父・誠久が尼子宗家の権力強化を狙う尼子晴久によって粛清されてしまう。勝久は難を逃れ、京の東福寺で出家し僧となった。 それか…

織田信行

織田信秀の息子(3男)で信長の弟。 「信行」の名で知られるが、実名は信勝。通称は勘重郎(勘十郎)。尾張国末森城の城主。「うつけ」といわれた兄・織田信長とは対照的に若年の頃から礼儀正しい若者だったが、兄・信長との折り合いは…

織田有楽斎

織田信長の弟のひとりで、武将としてよりも茶人として名高く利休十哲のひとり。 本名は織田長益。通称は源五。有楽斎如庵と号し、有楽、有楽斎と称される。おもな官位は侍従、従四位下。前半生は不明な点が多い。 1582年の本能寺の…

増田長盛

豊臣政権の五奉行のひとり(ほかは、浅野長政、石田三成、長束正家、前田玄以)。 通称は仁右衛門。おもな官位は従五位下右衛門少尉。前歴は不明だが、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が織田信長の家臣だったころから秀吉に仕え、1577年からの…

大久保長安

能役者から徳川幕府の勘定奉行、老中に昇りつめた異色の人物。 通称は藤十郎、十兵衛。おもな官位は従五位下石見守。長安は1545年、武田信玄お抱えの猿楽師・大蔵太夫金春七郎喜然の息子(次男)として誕生した。 信玄からその素質…

松平忠直

徳川家康の次男で越前北ノ庄藩(福井藩)初代藩主である結城秀康の息子(長男)。 正室は徳川秀忠の三女・勝姫。幼名は仙千代。おもな官位は越前守、左近衛権中納言、従三位参議。1615年、大坂夏の陣の際、祖父・家康に先鋒を願い出…

朝倉義景

越前に君臨した戦国大名・朝倉氏最後となる十一代当主。 父は朝倉孝景、母は武田氏の一族の娘。幼名は長夜叉。初名は孫次郎延景。おもな官位は従四位下左衛門督。義景は1533年9月24日に朝倉氏十代当主・朝倉孝景の息子(長男)と…

北条氏直

後北条氏の五代当主で戦国時代における最後の小田原城城主。 父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院、妻は徳川家康の娘・督姫。武田勝頼の甥にあたる。幼名は国王丸。通称は新九郎。別名は見性斎。おもな官位は左京大夫、従五位下。 …

大久保忠世

蟹江七本槍、徳川十六神将のひとりに数えられる徳川家康の武将。 通称は新十郎。別名は七郎右衛門。息子は徳川幕府で老中となり初期の幕政で重きをなした大久保忠隣。 若い頃から徳川家康の父・松平広忠に仕え、その後、家康に仕えた。…

蜂須賀小六

豊臣秀吉の最古参の家臣のひとり。 本名は正勝。一般的に知られる「小六」は幼名。通称は彦右衛門。官位は従四位下修理大夫。講談や『太閤記』などにより野盗の親玉というイメージが強い人物。 蜂須賀家は尾張国蜂須賀郷を拠点とする土…

脇坂安治

賤ヶ岳の七本槍のひとり(ほかは、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、平野長泰、糟屋武則、片桐且元)。 伊予国大洲藩の初代藩主でもある。初名は甚内。号は臨松院。おもな官位は淡路守、中務少輔、従五位下。 1569年に明智光秀の与力…

前田玄以

豊臣政権のいわゆる「五奉行」のひとり(ほかは、浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家)で、京都奉行を務めた。 初名は基勝。通称は孫十郎。号は半夢斎、徳善院。一般的に知られている「玄以」は法名である。官位は民部卿法印。 前…

加藤嘉明

賤ヶ岳の七本槍のひとり(ほかは、福島正則、加藤清正、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元)。 陸奥国会津藩の初代藩主でもある。初名は茂勝。通称は孫六、左馬助。おもな官位は、左馬助、従五位下、従四位下、侍従。少年期に羽柴…

長宗我部盛親

四国の覇者・長宗我部元親の息子(4男)。 幼名は千熊丸。通称は右衛門太郎。号は祐夢。おもな官位は土佐守、宮内少輔。盛親は4男であったが、長兄・信親が戦死したため父・元親から世子に指名され、1599年に長宗我部家の家督を継…

安国寺恵瓊

臨済宗の僧で、僧籍のまま大名になった異色の人物。 「安国寺」とは恵瓊が住持した寺の名である。幼名は竹若丸。法名は恵瓊。号は一任斎。安芸国の守護大名・武田氏の出身といわれる恵瓊は、安芸国の安国寺に入って出家、その後、京の東…

馬場信春

武田四天王のひとり(ほか、内藤昌豊、山県昌景、高坂昌信)。武田二十四将のひとりでもある。 初名は教来石景政。改名として馬場信房。別名は信政、信武、氏勝。おもな官位は民部少輔・美濃守。戒名は龍嶽院殿大法寿山居士、乾嫂白元居…

原虎胤

武田五名臣のひとり(ほか、小畠虎盛、横田高松、多田三八郎、山本勘助)。武田二十四将の一人でもある。 別名は虎種。おもな官位は美濃守。あだ名は鬼美濃、夜叉美濃。号は清岩。 武田家きっての猛将(足軽大将)として、たびたび戦功…

金森長近

織田信長軍の赤母衣衆のひとり。のち、豊臣秀吉と徳川家康にも仕え、飛騨高山藩初代藩主となる。 通称は五郎八。おもな官位は飛騨守・兵部大輔。改名として可近(ありちか)、素玄。 戦国時代の主要な合戦に数多く出陣し、戦功を重ねた…

稲葉一鉄

美濃三人衆のひとり(ほか、安藤守就、氏家直元)。斎藤道三、織田信長や豊臣秀吉に仕える。 春日局は孫にあたる(稲葉一鉄が外祖父/養祖父)。 幼名は六郎・彦六。通称は彦四郎・彦六郎。受領名は右京亮。諱は通似・通朝・貞通。おも…

宇喜多秀家

豊臣政権五大老のひとり(ほかは、徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝)。妻は前田利家の娘で豊臣秀吉の養女となった豪姫。 幼名は八郎。通称は備前宰相。別名を羽柴秀家、豊臣秀家という。号は久福。おもな官位は権中納言、左近衛…

吉川広家

吉川元春の息子(3男)で祖父は毛利元就。 幼名は才寿丸。経信、経言とも名乗った。別名は次郎五郎、又次郎、蔵人頭。おもな官位は従四位下民部少輔、侍従。 広家は3男だったが、父と兄が相次いで死去したため1587年に吉川家の家…

浅野幸長

豊臣政権の五奉行筆頭・浅野長政の子であり、紀州藩(紀伊国和歌山藩)の初代藩主である。 幼名は長満(ちょうまん)。初名は長継。改名としては長慶、幸長。おもな官位は左京大夫・従四位下・紀伊守・贈従三位。 父・浅野長政とともに…

可児才蔵

本名は可児吉長(かによしなが)だが、通称である才蔵で広く知られている。 武勇の誉れ高く、ついたあだ名は笹の才蔵。これは、合戦において多くの首を討つため、後からわかるよう笹を死者にくわえさせたことに由来する。(笹で首に切れ…

阿茶局

徳川家康の側室。 小牧・長久手の戦いの陣中にて懐妊するも流産。けっきょく、徳川家康の子供を授かることはなかった。西郷局が死去した後は、江戸幕府第二代将軍・徳川秀忠、その弟・松平忠吉を養育した。 号は雲光院(うんこういん)…

細川忠興

室町幕府の幕臣・細川藤孝の息子(長男)。正室は父・藤孝の盟友でもあった明智光秀の娘・玉子(細川ガラシャ)。豊前国小倉藩の初代藩主でもある。また、父・藤孝と同じく文化人としても知られ、利休七哲のひとりであり、茶道の流派・三…

浅野長政

豊臣政権の五奉行筆頭。 幼名は弥兵衛。初名は長吉。一般的に知られる長政という名は晩年に用いたもので、長吉の名を長く用いた。おもな官位は従五位下弾正少弼、従四位下侍従。豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)の妹婿でもある。 浅野長…

上杉景勝

豊臣五大老のひとり(ほかは、徳川家康、前田利家、宇喜田秀家、毛利輝元)で、米沢藩初代藩主。“軍神”といわれた上杉謙信の甥で、のちに養子となった。 幼名は卯松。初名は長尾顕景。通称は喜平次。尊称は御中城様。法名は宗心。別名…

千利休

茶の湯を大成した茶人で、「茶聖」とも称せられ天下三宗匠のひとり(ほかは、今井宗久、津田宗及)。 幼名は与四郎。法名は宗易、抛筌斎(ほうせんさい)。一般的に知られている利休の名は、1585年に正親町天皇から下賜された居士号…

甘利虎泰

武田信玄家臣団の筆頭格。武田二十四将のひとり。武田四天王のひとりでもある。 通称は九衛門。おもな官位は備前守。 武田家二代(信虎、信玄)に仕え、信濃佐久の志賀城攻略戦などで、山本勘助も湛える名采配をみせ、武田軍の快進撃を…

板垣信方

武田信玄家臣団の筆頭格。武田二十四将のひとり。武田四天王のひとりでもある。 別名は板垣信形、板垣駿河守。おもな官位は駿河守。 武田家二代(信虎、信玄)に仕え、家臣筆頭格としてよく支えた。 連勝を続けていた武田軍は北信濃の…

佐久間盛政

幼名は理助。その勇猛さから「鬼玄蕃」とあだ名された。官位は玄蕃允。父は織田信長の家臣・佐久間盛次、母は柴田勝家の姉。織田家筆頭家臣だった佐久間信盛は盛政の叔父にあたる。 佐久間盛政は父と同じく織田信長に仕え、1568年の…

毛利輝元

豊臣五大老のひとり(ほかは、徳川家康、前田利家、上杉景勝、宇喜多秀家)。長州藩初代藩主。 幼名は幸鶴丸。別名は少輔太郎。通称は安芸中納言。号は幻庵(宗瑞とも)。おもな官位は右衛門督、右馬頭、従四位下侍従、参議従三位権中納…

堀秀政

幼名は菊千代。通称は久太郎。おもな官位は従四位下・侍従・左衛門督。戒名は高嶽道哲東樹院、釈道哲。 13歳で織田信長の小姓となり、その後各種の奉行職を歴任。また戦場では、越前一向一揆、雑賀侵攻、有岡城の戦い、伊賀攻め(第二…

武田信繁

武田信玄の弟。武田二十四将において副大将(副将軍)格である。 幼名は次郎。改名で吉田信繁という呼び名も。主な官位は左馬助。別名で典厩(てんきゅう)、古典厩。 兄である武田信玄をよく補佐し数々の武功をあげる。同じ戦国時代の…

武田信虎

武田信玄の父。 幼名は五郎。初名は信直。法名は無人斎道有。おもな官位は陸奥守・左京大夫・従五位下。 14歳で家督を継いだ後、叔父である信恵を滅ぼして領国を統一するも、息子・晴信(後の武田信玄 )により、甲斐追放の憂き目に…

武田勝頼

武田信玄の息子(四男)。武田二十四将のひとりとする場合もある。 兄・武田義信が謀反の疑いにより失脚(廃嫡)により、信玄の跡取りとなる。父・信玄の領土拡大路線を継承するも、長篠の戦いにて織田信長・徳川家康連合軍に大敗を喫し…

京極マリア

浅井長政の姉。(浅井久政の娘(次女))である。洗礼名はドンナ・マリア。 夫・京極高吉とともに、安土城下にて洗礼を受けるも、その数日後に夫が死去してしまう。豊臣秀吉のバテレン追放令が発せられた後も信仰を貫いた。

斎藤利三

徳川幕府三代将軍・家光の乳母である春日の局の父としても知られる。 通称は内蔵助。「美濃の蝮」と呼ばれた斉藤道三の息子・義龍に仕え、その後、西美濃三人衆のひとり稲葉一鉄の家臣となったが不仲により一鉄の下を離れ、明智光秀に仕…

織田信雄

織田信長の息子(次男)。 幼名は茶筅丸。通称は三介。尊称は御本所。号は常真。北畠家の養子時代は、北畠具豊、信意と名乗り、その後、織田信勝とも名乗った。叔父の織田有楽斎から茶を学び茶人としても知られるだけでなく、能の名手で…

斎藤道三

あだ名は美濃の蝮。 幼名は峰丸。通称は新九郎。法蓮房、松波庄九郎、長井規秀、斎藤利政など多くの別名を持つ。 道三は、僧侶から油商人となり己の才覚をもって謀略を駆使し、美濃一国の「国盗り」を成し遂げた下克上大名の典型といわ…

千姫

二代将軍・徳川秀忠の娘(長女)で、母は「浅井三姉妹」の三女・江。豊臣秀吉の遺児・秀頼の正室でもある。 号は天樹院。温和な性格で、祖母・市ゆずりの美貌と聡明さを持ち合わせた女性だったといわれる。1597年5月26日、京の伏…

井伊直政

いわゆる「徳川四天王」のひとり(ほか、酒井忠次、榊原康政、本多忠勝)。また、徳川十六神将のひとりでもある。 幼名は虎松、万千代。あだ名は、井伊の赤鬼、人斬り兵部。おもな官位は兵部大輔、侍従贈従三位、従五位下、従四位下。上…

榊原康政

いわゆる「徳川四天王」のひとり(ほか、酒井忠次、井伊直政、本多忠勝)。また、徳川十六神将でもある。なお、本多忠勝とは同い年である。 幼名は於亀(亀丸とも)。通称は小平太。おもな官位は従五位下式部大輔、贈正四位。 榊原康政…

酒井忠次

「徳川四天王」の筆頭(ほか、井伊直政、榊原康政、本多忠勝)。また、徳川十六神将の筆頭でもある。 幼名は小平次。通称は小五郎、左衛門尉。号は一智。おもな官位は従四位下左衛門督。松平氏の譜代家臣・酒井忠親の息子(次男)。忠次…