岩下密政
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岩下 密政(いわした みつまさ、1914年1月9日 – 1972年7月8日)は、日本の騎手、競走馬調教師。東京競馬倶楽部、国営競馬、日本中央競馬会に所属。騎手時代にはトキノミノル、ゴールデンウエーブなどに騎乗した。
1914年、山梨県中巨摩郡玉幡村(現:甲斐市西八幡)に農家の三男として生まれる。幼少期から農耕馬の世話で馬に親しんだ。19歳の時に上京、東京競馬倶楽部の田中和一郎厩舎(目黒競馬場)に騎手見習いとして入門した。
1934年に正騎手となり、3月に初騎乗。同年9月3日、セイサンで初勝利を挙げた。以後「追える騎手」として徐々に頭角を現す。1940年春にはトキノチカラで帝室御賞典・春(阪神競馬場)を制し、特殊競走(重賞競走)初勝利を帝室御賞典で挙げた。秋には中山農林省賞典障害(秋)にも勝利し、当年自己最高の35勝を挙げている。
1942年、トキノチカラの馬主であった菊池寛の仲人で結婚。同年末より勃発した太平洋戦争による混乱・競馬休止を経て、公認競馬再開から4年後の1950年より、田中厩舎に入ったトキノミノルの主戦騎手を務める。同馬と岩下のコンビは連戦連勝を続け、5月には皐月賞を制してクラシック競走を初制覇。続く東京優駿(日本ダービー)にも優勝し、10戦10勝で二冠を制した。しかしトキノミノルはダービー17日後に破傷風で急死し、期待されたクラシック三冠達成、アメリカ遠征などは実現せずに終わった。なお、この年2月に誕生した岩下の長男はトキノミノルにあやかり「実」と名付けられていた。
1951年日本ダービー優勝旗を抱える岩下(37歳)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県中巨摩郡玉幡村(現:甲斐市西八幡) |
生年月日 | 1914年1月9日 |
死没 | 1972年7月8日(58歳没) |
騎手情報 | |
所属団体 |
東京競馬倶楽部 国営競馬 日本中央競馬会 |
所属厩舎 | 田中和一郎(1933年 – 引退) |
初免許年 | 1934年 |
騎手引退日 | 1959年 |
重賞勝利 | 9勝 |
G1級勝利 | 5勝 |
通算勝利 | 1854戦288勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1959年 |
調教師引退日 | 1972年 |
重賞勝利 | 1勝 |
経歴 | |
所属 | 東京競馬場 |
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