えびはら武司

1973年から1975年にかけてフジコスタジオに所属していた。藤子不二雄には10人以上のアシスタントがいたが、ファンからアシスタントになったのはえびはらが初であるため、「藤子の最初の弟子」と称される。ジャイアンの本名、武(たけし)はえびはらの名から取られたという

フジコスタジオ退社後は広告代理店に勤め、1980年3月に少年チャレンジ掲載の『マチコ先生のパンティー』を発表。上京後、同年5月より『まいっちんぐマチコ先生』を連載開始。連載開始後は千葉県に戻る。2000年に日本工学院専門学校蒲田校講師となる

代表作『まいっちんぐマチコ先生』は、アニメ化や実写映画化もされた。2001年以降は『コミック伝説マガジン』、『B.L.T.』などで新作を連載している

ちなみに、まいっちんぐマチコ先生を描こうと思った理由は、「藤子不二雄先生の影響を強く受けすぎて、どうしても先生の漫画と似たような話ばかりを描いてしまうため、先生が嫌いな過剰なお色気漫画に挑戦した結果、産まれた作品」とインタビューの中で語っている。

反応