みなもと太郎
みなもと 太郎(みなもと たろう、1947年(昭和22年)3月2日 – )は、日本の漫画家。京都府京都市出身。本名は浦 源太郎(うら げんたろう)。ペンネームは本名のファーストネームを読み替えたもの。代表作は『風雲児たち』『ホモホモ7』。
京都市の現・北区(当時は上京区から分区以前)に生まれる。常に走り回っていたような落ち着きがない子供であったが、2歳の頃にマンガに触れて絵を描き始め、中学校では3年間授業中ほとんど漫画を描いていた。京都市立日吉ヶ丘高校美術課程に入学。当時漫画家になる事を反対していた姉から大学への進学を強硬に勧められたものの、当時マンガ家デビューは20歳までと相場が決まっていた他、美術大学では漫画への理解がないと知り絶望視していたが、高校1年の頃に姉が死去。当時の心境を「悲しいけれども、『マンガ家への道はこれで拓けるかもしれない』と思った」と回顧している。また在学中、京都の撮影所で映画の仕出しのアルバイトで時代劇や『アゴン』[注 1]等に出演している。
卒業後、呉服商の悉皆屋でデザイナーとして勤務するも、3か月で退職し東京へ転居。偶然知り合った平塚らいてうの孫の自宅に居候しながら、出版社との契約や写植など漫画家になるための方法を尋ねるため、各出版社や白土三平、一峰大二、貝塚ひろし、水野英子、石ノ森章太郎、あすなひろし、ちばてつや、藤子不二雄、つのだじろう、赤塚不二夫、水木しげるなどの漫画家の自宅を1か月間訪問して回った。ただし、手塚治虫の自宅へは怖くて行けなかったという。1967年9月、『別冊りぼん秋の号』に掲載された『兄貴かんぱい』でメジャーデビュー。
1970年、『週刊少年マガジン』(講談社)で連載が始まった前衛的ギャグ漫画『ホモホモ7』が高い人気を得る。1979年、『コミックトム』(潮出版社)連載『風雲児たち』で歴史漫画家としての作風を確立し、以降、歴史漫画を主に執筆する。
本名 |
浦 源太郎 (うら げんたろう) |
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生誕 |
日本、京都府京都市、現北区 |
1947年3月2日(72歳)
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1967年 – |
代表作 | 『風雲児たち』 |
受賞 | 2004年:第 8回「手塚治虫文化賞・特別賞」を受賞。(『風雲児たち』) |
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