みやさかたかし

miyasakatakashi

矢野健太郎のアシスタントとして働きながら師事。昭和58年(1983年)頃から同人活動を始めるとともに、昭和61年(1986年)頃から商業活動も開始した。ゲーム雑誌や少年向け雑誌でイラストや小品を描いたり、同人活動の経験を活かして徳間書店のパソコンゲーム雑誌『テクノポリス』で同人ソフトの解説を行ったり、などの仕事が主だった。

平成2年(1990年)4月より『CANDY TIME 海賊版』(富士美出版刊)誌上に「APPLE☆STRIKE!」の連載を開始し、漫画家として独り立ちした。その後『CANDY TIME 海賊版』誌を拠点として「あくてぃぶCHASER」「ふぇありぃすぺぇす -Formula DOLL 016-」の2本の連載を持ち、さらに平成4年(1992年)2月には『サイバーコミックス』(バンダイ出版課刊)で「もののけPRESENT」、同年8月には『ペンギンクラブ増刊号』(辰巳出版刊)誌で「うっどぱぁくのすくいれる」といくつもの連載を持つようになった。

しかし「もののけPRESENT」が平成4年(1992年)10月に『サイバーコミックス』が休刊となって中断した後、平成6年(1994年)7月に『バトルエンジェルス』(ラポート刊)、同年12月に『コミックWill』(ラポート刊)と渡り歩いた末に途絶してしまう。それに続くように平成7年(1995年)2月、『カイザーペンギン』(『ペンギンクラブ増刊号』の改題)の廃刊により「うっどぱぁくのすくいれる」の連載が途絶。平成8年(1996年)4月には『CANDY TIME 海賊版』誌休刊により「ふぇありぃすぺぇす -Formula DOLL 016-」の連載が断絶。さらに同年6月新創刊された『コーヒーブレイク』に連載した「てとら☆PACK」も翌平成9年(1997年)2月、単行本仕上げ作業などの仕事の輻輳で入院に至り、休載したのがきっかけとなって打ち切りに遭うなど、雪崩のように連載中断に遭った。

さらに平成11年(1999年)には『コミックジャパン』(ホビージャパン刊)に連載を持つ予定だったが、同誌が創刊号で廃刊し、作品を発表出来なかった。

反応