アルフォンソ・デ・ポルターゴ
第11代ポルターゴ侯爵アルフォンソ・カベサ・デ・バカ・イ・レイトン (1928年10月11日 – 1957年5月12日) はスペインの貴族、レーシングドライバー、ボブスレー選手。一般にはアルフォンソ・デ・ポルターゴとして知られている。1957年にミッレミリアのレース中に観客を巻き込む大事故を起こして亡くなり、それがきっかけでミッレミリアは終了を余儀なくされた。
ロンドンで生まれ、フランスのビアリッツで教育を受けた。4カ国語に長じていた。ポルターゴは、祖先に探検家アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカの他、マドリード総督などがいるスペイン有数の貴族の出であり、大富豪であった。父アントニオ・カベザ・デ・バカは彼が幼い頃にポロの試合でハーフタイム中に亡くなっている。母オルガ・レイトンはアイルランド人の看護師で、前夫フランシス・ジョン・マッキーとの間にソルという名の娘がいた。ソルは後に結婚し、レース界で有名になったが、2017年に亡くなっている 。フランシスはアメリカの金融会社ハウスホールド・ファイナンス (現在のHSBCファイナンス) の創業者で、オルガより40歳以上も年上だった。彼は死出の病のため自殺し、オルガにその莫大な財産を遺した。
ポルターゴは、17歳のときに橋の下を飛行機でくぐる賭けをして勝っている。また、エイントリー競馬場のグランドナショナルに紳士枠で2回参加したが、身長183 cm、体重77 kgという体躯のため体重を落とすのに苦労したという。
ポルターゴ侯爵 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | スペイン |
出身地 | イギリス・ロンドン |
生年月日 | 1928年10月11日 |
死没地 | イタリア・ロンバルディア州カヴリアーナ |
没年月日 | 1957年5月12日 | (28歳)
F1での経歴 | |
活動時期 | 1956年 – 1957年 |
所属チーム | スクーデリア・フェラーリ |
出走回数 | 5 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 4 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1956年フランスグランプリ |
最終戦 | 1957年アルゼンチングランプリ |
反応