アルフレート・ヨードル
アルフレート・ヨーゼフ・フェルディナント・ヨードル(Alfred Josef Ferdinand Jodl、1890年5月10日 – 1946年10月16日)は、ドイツの軍人。第二次世界大戦時に国防軍最高司令部作戦部長の地位にあり、陸海空三軍の調整役を務めた。1945年5月7日にドイツ降伏文書の調印を行った。戦後、ニュルンベルク裁判の被告人の1人とされ、絞首刑に処された。最終階級は上級大将。
1890年5月10日、バイエルン王国のヴュルツブルクにバイエルン退役砲兵大尉ヨハネス・ヨードル(Johannes Jodl)の息子として生まれた。母は農民の娘テレーゼ・バウムゲルトラー(Therese Baumgärtler)。五人兄弟の三番目だった。ヨードル家は著名な職業軍人の家庭で、ヨードル本人も職業軍人の道を選んだ。弟フェルディナント(en)も軍人となり、ノルウェー山岳軍団の大将まで昇進している。
1903年から1910年までミュンヘンのバイエルン陸軍士官学校に入学した[疑問点 ]。1910年に第4バイエルン野砲兵連隊に士官候補生(Fähnrich)として入隊。1912年10月28日に少尉(Leutnant)に任官した。1913年9月にイルマ・フォン・ブリオン伯爵令嬢(Irma Gräfin von Bullion)と結婚。フォン・ブリオン伯爵家はシュヴァーベンに古くから続く貴族の家柄であった。彼女の父は身分違いの相手であるヨードルとの結婚を止めさせたがっていたが、二人の意思は固く、周囲の反対を押し切って結婚した。
ヨードル(1940年)
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生誕 |
1890年5月10日 ドイツ帝国 バイエルン王国、ヴュルツブルク |
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死没 |
1946年10月16日 連合軍占領下ドイツ ニュルンベルク |
所属組織 |
バイエルン王国陸軍 ドイツ国軍陸軍 ドイツ国防軍陸軍 |
軍歴 | 1910年 – 1945年 |
最終階級 | 上級大将 |
除隊後 | ニュルンベルク裁判被告人、絞首刑 |
署名 |
反応