アレクサンドル・ダルゴムイシスキー

アレクサンドル・ダルゴムイシスキー

アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ダルゴムイシスキー[注釈 1]ロシア語: Алекса́ндр Серге́евич Даргомы́жский;英語: Aleksandr Sergeevich Dargomizhskii、1813年2月14日 – 1869年1月17日)ロシアのオペラ作曲家。音楽史的にはグリンカと「ロシア五人組」やチャイコフスキーの間を橋渡しした人物である。ほかに、歌曲やピアノ曲をふんだんに作曲したほか、多少の管弦楽曲もある。

名門貴族の家に生まれ、サンクトペテルブルクで教育を受ける。早くから才能あるアマチュアとして名声を博し、当初はサロン音楽の分野で有名であったが、1833年、ミハイル・グリンカに出会い、作曲に打ち込むよう激励を受けた[注釈 2]。ダルゴムイシスキーは、ロシア的な音楽の創造をめざすグリンカの影響で、意識的にロシア語のイントネーションを音楽化する方法を研究し、その成果はかれの作曲した歌劇・オペラ作品に活かされた

基本情報
出生名 Алекса́ндр Серге́евич Даргомы́жский
生誕 1813年2月14日
出身地 ロシア帝国 トゥーラ県
死没 (1869-01-17) 1869年1月17日(55歳没)
ロシア帝国 サンクトペテルブルク
ジャンル オペラ
歌曲
ピアノ曲
職業 作曲家

反応