アンドリュー・ハンプステン

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1985年、アメリカのプロ自転車チームであるSRC・リーヴァイス=ラレーと契約を結んでプロ入り。同年のジロ・デ・イタリアの第20ステージを勝利したレースが、同年のジロ・デ・イタリアで総合優勝を果たしたベルナール・イノーの目に強く止まったことが契機となり、翌1986年にイノー率いるフランスのラ・ヴィ・クレールへと移籍。

そして、ハンプステンはその期待に応えるべく、同年のツール・ド・スイスでは総合優勝を果たし、また同年のツール・ド・フランスではチームメイトであるイノー、グレッグ・レモンを献身的にアシストし、自身も総合4位に入る健闘を見せた他、マイヨ・ブラン(新人賞)を獲得。

しかし、イノーは1986年を最後に引退。またこの年のツールを制したレモンがラ・ヴィ・クレールの確固たるリーダーとなったこともあり、翌1987年にチームリーダーとしてアメリカのセブンイレブンに移籍。同年、ツール・ド・スイス総合2連覇を達成。

翌1988年のジロ・デ・イタリア。第12、18ステージを制し、猛吹雪に見舞われ大量の選手が低体温症に陥る地獄絵図と化した第17ステージを2位で凌ぎ、マリア・ローザを手中に収める。その後、エリック・ブロイキンクらの追撃を退け、アメリカ国籍選手として、また欧州国籍以外の選手として初めてジロ・デ・イタリアを制覇。

反応