アンドレア・イエガー
アンドレア・イエガー(Andrea Jaeger, 1965年6月4日 – )は、アメリカ・イリノイ州シカゴ出身の元女子プロテニス選手。1982年の全仏オープンと1983年のウィンブルドンで、4大大会に2度の準優勝がある。どちらも決勝戦でマルチナ・ナブラチロワに敗れた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。シングルス自己最高ランキングは2位(1981年8月)。WTAツアーでシングルス10勝、ダブルス4勝を挙げた。
1980年1月に14歳でプロ転向。すぐに世界的な躍進を始め、「エイボン・フューチャーズ」(ラスベガス)の大会で「14歳8ヶ月」の若さでプロ初優勝。これは当時、女子テニスツアーにおける2番目の年少優勝記録であった。同年のウィンブルドン選手権で大会史上最年少のシード選手になり、全米オープンでも史上最年少の15歳でベスト4進出を決める。翌1981年の全仏オープンで、イエガーは同じアメリカのジミー・アリアスとペアを組んで優勝した。当時イエガーは15歳339日、アリアスは16歳296日で、2人の年齢を合わせると「32歳270日」となる。これはテニスのギネスブックにも「史上最年少のグランドスラム優勝ペア」として記載され、今なお残っている。
イエガーは愛らしい天才少女としての人気も高く、2度のグランドスラム大会準優勝などで将来を嘱望されていた。ところが、彼女は1984年に19歳で肩の故障を起こす。全仏オープンで1回戦の試合開始前に棄権し、ロサンゼルス五輪の公開競技(21歳以下の選手に限定、まだテニスの五輪種目の復帰は決まっていなかった)でも試合を途中棄権する。若すぎた身体の酷使により、先輩のトレーシー・オースチンと並んで“燃え尽き症候群”の教訓のひとりとして語られるようになった。
イエガーは1987年に現役を引退した後、大学で動物学や神学を学んだ。現在はアンドレ・アガシらスポーツ界の著名人とともに“Athletes for hope”という慈善活動団体の代表メンバーの1人として活動している。2004年には、主に慈善活動に重点を置いた自伝『First Service: Following God’s Calling and Finding Life’s Purpose』を出版した。
アンドレア・イエガー
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | 同・シカゴ |
生年月日 | 1965年6月4日(54歳) |
身長 | 168cm |
体重 | 63kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1980年 |
引退年 | 1987年 |
ツアー通算 | 14勝 |
シングルス | 10勝 |
ダブルス | 4勝 |
生涯通算成績 | 307勝123敗 |
シングルス | 260勝85敗 |
ダブルス | 47勝38敗 |
生涯獲得賞金 | $1,379,065 |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | ベスト4(1982) |
全仏 | 準優勝(1982) |
全英 | 準優勝(1983) |
全米 | ベスト4(1980・82) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 3回戦(1981・82) |
全仏 | ベスト8(1982) |
全英 | 3回戦(1981) |
全米 | ベスト4(1980) |
4大大会最高成績・混合ダブルス | |
全仏 | 優勝(1981) |
優勝回数 | 1(仏1) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 2位(1981年8月17日) |
ダブルス | ?位 |
反応