アンドレ・ルデュック
1924年、パリで開催された世界自転車選手権・アマ個人ロードで優勝。
1926年にプロへ転向し、翌1927年のツール・ド・フランスに出場。区間3勝を挙げ、総合4位に入った。
1928年のツール・ド・フランスでは、区間4勝を挙げ、総合連覇を果たしたニコラ・フランツについで総合2位。また、同年のパリ~ルーベを制した。
1929年のツール・ド・フランスでも、前年に続き区間4勝を挙げ、第7ステージでは総合首位(ニコラ・フランツらと並んで)に立った。
1930年のツール・ド・フランス。この大会より個人参加が認められなくなり、完全に国・地域別対抗戦形式に改められた元年となった。レアルコ・グエッラ、アルフレッド・ビンダという2大リーダーを中心とするイタリアナショナルチームに対し、ピレネー越えステージで同じフランスナショナルチームのアントナン・マーニュらと呼応してイタリア勢を粉砕し、マイヨ・ジョーヌをグエッラから奪うや、そのまま最後まで守りきって初の総合優勝を果たした。
反応