アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル

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アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(Anna Amalia von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1739年10月24日-1807年4月10日)は、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世の妃。

ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世と妃フィリッピーネ・シャルロッテ(プロイセン王フリードリヒ2世の妹)の娘として、ヴォルフェンビュッテル(現在のニーダーザクセン州)で生まれた。兄はプロイセン元帥として知られるカール・ヴィルヘルム・フェルディナント。

1756年3月16日、エルンスト・アウグストと結婚。しかしわずか2年後に夫は死去し、彼女は身重の体で、長男カール・アウグストの摂政をつとめることになった。同年、次男コンスタンティンを出産。

七年戦争という一大事にもよく公国の舵をとり、カール・アウグストが成人した1775年に摂政を辞した。芸術のパトロンとして知られ、作曲をする才女だった。彼女は、ヘルダー、ゲーテ、シラーらをヴァイマルへ招聘した。幼い大公の教師をつとめたのは、シェイクスピアのドイツ語翻訳者で詩人のヴィーラントであった。アンナ・アマーリアは、85万冊もの蔵書をもつ『アンナ・アマーリア大公妃図書館』を創設した。

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