アン・スミス
アン・スミス(Anne Smith, 1959年7月1日 – )は、アメリカ・テキサス州ダラス出身の元女子プロテニス選手。ダブルスの名手として活躍し、4大大会で女子ダブルス5勝、混合ダブルス5勝を挙げた。とりわけ、1980年から1981年にかけて同じ年のキャシー・ジョーダンと一緒に女子ダブルスの「キャリア・グランドスラム」を達成した点が傑出している。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス38勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス12位、ダブルス1位。
アン・スミスは18歳の時、1977年の全仏オープンジュニア女子シングルスで優勝し、この部門で最初のアメリカ人優勝者となった。1978年にプロ転向。1980年から1981年にかけて、スミスは同じ年のキャシー・ジョーダンとダブルスでペアを組み、1980年は全仏オープンとウィンブルドン、1981年は全米オープンと(当時は年末開催だった)全豪オープンで優勝し、同一ペアによる女子ダブルスの「キャリア・グランドスラム」を達成した。1980年全仏オープンでは、同じアメリカのウィリアム・マーティンとペアを組んだ混合ダブルスでも優勝し、2部門制覇を果たしている。1981年全米オープンで自身2度目の2部門制覇をした時は、混合ダブルスで南アフリカのケビン・カレンと組んで優勝した。1982年は全仏オープンの女子ダブルスでマルチナ・ナブラチロワとのペアで優勝し、ウィンブルドンと全米オープンではカレンとのペアで混合ダブルス2連勝を達成した。スミスとカレンの組は、全米オープンで混合ダブルス2連覇を達成したことになる。スミスはいろいろなタイプの選手たちとダブルス・パートナーを組み、その中には大ベテランになったビリー・ジーン・キング夫人さえも含まれていた。
シングルスでのアン・スミスは、1981年全米オープン、1982年ウィンブルドン、1982年全豪オープンで3度のベスト8進出がある。全仏オープンは1979年から1982年まで4年連続のベスト16に入ったが、上位に勝ち進むことができなかった。1982年のウィンブルドンだけは、敗れた相手は西ドイツのベッティーナ・バンジであったが、他の2度はマルチナ・ナブラチロワに完敗した。ナブラチロワは20歳代後半に入った1980年代前半から全盛期を迎えており、ダブルス・パートナーとしては心強い存在であったが、シングルスでは全く歯が立たなかったのである。
1984年の全仏オープン混合ダブルスで、アン・スミスは同じアメリカのディック・ストックトンとペアを組んで4年ぶり2度目の優勝を果たす。これが彼女の最後の4大大会ダブルス優勝になった。1985年に「テキサス・テニス殿堂」入りを果たし、シングルスでは1991年、ダブルスでは1992年まで現役を続行した。その後、彼女は2005年-2006年の2年間アメリカ国内のITFサーキット大会に再挑戦し、ダブルスでは1勝を記録した。その後、彼女はスタン・スミスと組んで全米オープンの「レジェンド部門」混合ダブルスに出場し、2007年と2008年の2年連続で優勝を遂げている。
マルチナ・ナブラチロワとアン・スミス
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | 同・テキサス州ダラス |
生年月日 | 1959年7月1日(60歳) |
身長 | 165cm |
体重 | 59kg |
利き手 | 右 |
ツアー経歴 | |
デビュー年 | 1978年 |
引退年 |
1992年 (2005・06年短期復帰) |
ツアー通算 | 40勝 |
シングルス | 2勝 |
ダブルス | 38勝 |
生涯通算成績 | 447勝286敗 |
シングルス | 224勝186敗 |
ダブルス | 223勝100敗 |
生涯獲得賞金 | 1,165,074 アメリカ合衆国ドル |
4大大会最高成績・シングルス | |
全豪 | ベスト8(1982) |
全仏 | ベスト16(1979-82) |
全英 | ベスト8(1982) |
全米 | ベスト8(1981) |
4大大会最高成績・ダブルス | |
全豪 | 優勝(1981) |
全仏 | 優勝(1980・82) |
全英 | 優勝(1980) |
全米 | 優勝(1981) |
優勝回数 | 5(豪1・仏2・英1・米1) |
4大大会最高成績・混合ダブルス | |
全豪 | ?(?) |
全仏 | 優勝(1980・84) |
全英 | 優勝(1982) |
全米 | 優勝(1981・82) |
優勝回数 | 5(仏2・英1・米2) |
キャリア自己最高ランキング | |
シングルス | 12位 |
ダブルス | 1位 |
反応