アーサー・ハリス
初代准男爵、サー・アーサー・トラヴァース・ハリス(Sir Arthur Travers Harris, 1st Baronet,GCB,OBE,AFC, 1892年4月13日 – 1984年4月5日)は、イギリスの軍人である。最終階級は空軍元帥。
1892年4月13日、チェルトナムで生まれる。1937年6月12日、第四航空団司令官。パレスチナ人の反乱蜂起を鎮圧するイギリスの現地指揮官となったハリスは「不穏な言動をする村を250ポンドか500ポンド爆弾で各個撃破しろ。アラブ人が理解することはただ一つ、厳しい行動だけだ」と提案したが、実行はされなかった。
1939年9月11日、第五航空団司令官。
1942年2月22日爆撃機軍団司令官。ハリス着任前、空軍参謀部は「いまや作戦の目標は敵の非戦闘員、特に工場労働者の戦意に集中されるべきである」としているなど、この時期イギリス空軍関係者の多くは敵都市の物理的破壊が勝利のカギという思想を共有していた。1942年3月から焼夷弾を中心とする都市破壊爆撃の実験をドイツのリューベック、ロストックに対して行い、ドイツも報復として1942年4月からベデカー爆撃を行っていた。
しかし、ハリスはさらに野心的な空爆を計画した。単一の都市に一時間半にわたり1000機もの爆撃機をなだれこませ、都市防衛―対空砲火だけでなく消防や救護活動をも無力化し、爆弾と焼夷弾を集中して焼き払うというアイデアである。飛行機には容量の許す最大限の焼夷弾を積み、2400メートルの高度から落とす。発生する火災現場に後から駆けつける消防夫をその時点で殺傷するために遅発性の信管をつけた11キロ爆弾を混ぜておくなど、ゲルニカや後の東京に対する空爆手法に通じる発想が試みられた。
爆撃軍団司令部にて。(1944年)
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渾名 | 「爆撃屋ハリス」(Bomber Harris)、「屠殺屋ハリス」(Butcher Harris) |
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生誕 |
イングランド・グロスタシャー・チェルトナム |
1892年4月13日
死没 |
1984年4月5日 イングランド・オックスフォードシャー・ヘンリー |
(91歳)
所属組織 |
イギリス陸軍 イギリス空軍 |
軍歴 | 1914年 – 1946年 |
最終階級 | 英空軍元帥(Marshal of the Royal Air Force) |
除隊後 | サウス・アフリカ・マリン・コーポレーションのマネージャー |
反応