イオン・アントネスク
イオン・ヴィクトル・アントネスク(ルーマニア語: Ion Victor Antonescu, 1882年6月14日 – 1946年6月1日)は、20世紀前半のルーマニアの軍人・政治家。アレクサンドル・アヴェレスクやコンスタンチン・プレザンと並んで、王族以外では3名しかいない元帥の一人である。一人称を使わず、自分のことを「アントネスク」と称したという。
ピテシュティ出身。父イオンは自作農家で、大尉だった。フランスで軍事教育を受ける。1907年の農民蜂起の鎮圧に参加。1913年のバルカン戦争時、街道の要所を少数の兵力によって守り抜いた功績により、勲三等ミハイ勇敢公勲章を受勲。
第一次世界大戦時、参謀将校としてマラシュティ等の反攻作戦を立案した。
イオン・アントネスク
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生年月日 | 1882年6月14日 |
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出生地 | ルーマニア王国、アルジェシュ県ピテシュティ |
没年月日 | 1946年6月1日(63歳没) |
死没地 | ルーマニア王国、イルフォヴ県ジラヴァ |
出身校 | 王立陸軍士官学校 |
称号 | 勲三等ミハイ勇敢公勲章 |
配偶者 |
レイチェル・メンデル マリア・ニクレスク |
親族 | ミハイ・アントネスク |
ルーマニア王国第43代首相
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在任期間 | 1940年9月5日 – 1944年8月23日 |
元首 | ミハイ1世 |
反応