イスメト・イノニュ

ムスタファ・イスメト・イノニュ(Mustafa İsmet İnönü, 1884年9月24日 – 1973年12月25日)は、オスマン帝国末期およびトルコ共和国初期の軍人、トルコの第二代大統領(1938年11月11日 – 1950年3月22日)。日本語では「ムスタファ・イスメト・イニョニュ」とも表記する。

イスメトは、スミルナ (現イズミル)で父レシド (Hacı Reşit Bey) と母ジェヴリイェ(Cevriye Temelli Hanım)の次男として生まれた。[注釈 1]レシドはビトリスのキュミュルオールラル (Kümüroğulları)一族に属し、クルド系といわれ[注釈 2]、マラティヤで生まれ、陸軍省法務局一級検査官職 (Harbiye Nezareti Muhakemat Dairesi Birinci Mümeyyizliği)を務めた元官吏であり、 ジェヴリイェは、ラズグラドのウラマーであるハサン・エフェンディ (Müderris Hasan Efendi)の娘であった。少年時代は父の転勤に従って各地を転々とする生活を送った。小学校を修了した後、1894年にスィワス幼年兵学校、スィワス中学校で学んだ後、1901年2月14日、イスタンブールの陸軍工科学校 (Mühendishane-i Berrî-i Hümâyûn: 砲兵科将校養成のための士官学校、1319入校組)に入学し、1903年9月1日に砲兵少尉として同校野砲科を首席で卒業した。クラスには、シェフィク・アヴニ (工兵科首席)、イッゼッディン (砲兵科2席)らが、コレスには、アブドゥルラフマン・ナーフィズ (陸士歩兵科5席)、アラーアッディン (陸士歩兵科8席)、アーシル (陸士歩兵科23席)、ハリド (陸士歩兵科257席)らがいた。1906年9月26日には、陸軍大学 (陸大59期)を首席で修了して参謀大尉となり、第2軍付となり、エディルネの第8砲兵連隊第3砲兵中隊長として参謀研修を行った[10]。またこの頃、統一と進歩委員会に加入していたとされる。

イスメト・イノニュ
Mustafa İsmet İnönü


トルコ共和国
初、第2、
第4‐8代首相
任期 1923年12月13日 – 1937年10月25日

トルコ共和国
第2代大統領
任期 1938年11月11日 – 1950年5月22日

トルコ共和国
第27‐29代首相
任期 1961年11月20日 – 1965年2月20日

出生 1884年9月24日
イズミル
死去 1973年12月25日
アンカラ
政党 共和人民党
配偶者 メヴヒーベ・イノニュ
署名

反応