イヴァノエ・ボノーミ

イヴァノエ・ボノーミ(伊:Ivanoe Bonomi [iˈvaːnoe boˈnɔːmi]1873年10月18日 – 1951年4月20日)は、第二次世界大戦前後のイタリアの政治家である。

ボノーミはマントヴァにて生まれる。1909年に代議院議員にイタリア社会党員として当選するも、彼の改良主義思想と伊土戦争の支持により1912年、社会党から追放される。また第一次世界大戦に際しては三国協商側としての参戦を主張した。

ボノーミは1916年から1917年にかけて公共事業担当大臣を務め、1920年にはユーゴスラビアとの交渉のため国防大臣を務めた(ラパッロ条約)。1920年末には財務大臣に就任し、1921年には連立内閣で1回目の首相を務めた。しかし1922年初頭、ベニート・ムッソリーニ率いる国家ファシスタ党の反乱により連立政権は崩壊し、ルイージ・ファクタに首相の座を追われた。1922年10月にムッソリーニがローマ進軍によって権力を得ると、ボノーミは一旦は政界から退いた。

しかし、1940年にボノーミは反ファシズム運動に加わり、次第にその運動の指導者となっていった。1943年にムッソリーニが失脚するとバドリオ元帥が首相となって連合国への降伏交渉を行ったが、一方ではアドルフ・ヒトラーのドイツはイタリア北・中部を軍事占領し、ムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国(RSI)を成立させ、イタリアは内戦状態に陥り、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とバドリオ政権はイタリア南部に逃亡した。この時、ボノーミは連合国側に立ちイタリア社会共和国とナチス・ドイツらファシズム勢力から母国奪還の指揮を執った。1944年6月9日に連合国軍がローマを回復したため国王とバドリオ首相は首都に帰還を果たすことができたが、ローマを見捨てて南部に逃亡したという経緯があったため、国民の支持を失ってしまった。そのため、バドリオはボノーミに首相の座を明け渡して政界から退いた。

1944年6月18日、ボノーミは正式にイタリア王国首相に就任し、内務大臣や外務大臣をも兼任した。1944年11月に首相を辞職しようとしたが、それは戦略的なポーズであったらしく、イギリスのウィンストン・チャーチルに続投するように促され、第二次世界大戦が終結する1945年まで首相を務めた。

イヴァノエ・ボノーミ
Ivanoe Bonomi
第25代
イタリア王国首相
任期
1921年6月4日 – 1922年2月26日
君主 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
前任者 ジョヴァンニ・ジョリッティ
後任者 ルイージ・ファクタ
任期
1944年6月18日 – 1945年6月19日
君主 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
前任者 ピエトロ・バドリオ
後任者 フェルッチョ・パッリ
個人情報
生誕 (1873-10-18) 1873年10月18日
イタリア王国、マントヴァ
死没 1951年4月20日(1951-04-20)(77歳)
イタリア、ローマ
国籍 イタリア
政党 イタリア社会党 (1893-1912)
イタリア改良主義社会党 (1912-26)
労働民主党 (1942-46)
イタリア民主社会党 (1948-51)

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