ウィリアム・ワイラー

ウィリアム・ワイラー

ウィリアム・ワイラー(William Wyler, 1902年7月1日 – 1981年7月27日)は、アメリカ合衆国を代表する映画監督の一人。アカデミー監督賞を3回受賞、ハリウッド黄金期に活躍した監督。ドイツ帝国のミュールハウゼン(現・フランス東部オー=ラン県ミュルーズ)出身。

生まれたときの姓名はヴィルヘルム・ヴァイラー(Wilhelm Weiller)。当時ドイツ帝国領であったミュールハウゼンにて、小物屋を営むユダヤ系の家庭に生まれる。父親はユダヤ系スイス人、母親もユダヤ系ドイツ人で、両親共にユダヤ教徒でもあった。ヴィルヘルムは家業を継ぐことを嫌い、フランスのパリに赴いて音楽を学んだが挫折してしまう。

結局、母方の親戚(遠縁ではあるが)に当時のハリウッドの重鎮カール・レムリ(ユニバーサル・スタジオ社長)がいたことから映画の道を志し、第一次世界大戦後の1920年に18歳で渡米、まずユニヴァーサルのニューヨーク本社で雑用係として働く。なお第一次世界大戦にドイツが敗北した結果、故郷のミュールハウゼンはフランス領となった。その後、国際宣伝部を経てハリウッドに移り、オフィスの雑用係、撮影所の小道具係、配役係、助監督と着実に製作現場での経験を積んで立場を上げていく。1925年(1926年という説も)に映画監督に昇進し、短編の西部劇でデビュー。

本名 Wilhelm Weiller
生年月日 (1902-07-01) 1902年7月1日
没年月日 (1981-07-27) 1981年7月27日(79歳没)
出生地 ドイツ帝国、ミュールハウゼン
死没地 アメリカ合衆国、カリフォルニア州ビバリーヒルズ
国籍 アメリカ合衆国
職業 映画監督
配偶者 マーガレット・サラヴァン (1934-1936)
Margaret Tallichet (1938-1981)
主な作品
『嵐ケ丘』
『我等の生涯の最良の年』
『ローマの休日』
『必死の逃亡者』
『大いなる西部』
『ベン・ハー』
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