ウィルソン・ブラウン
ウィルソン・ブラウン・ジュニア(英: Wilson Brown, Jr., 1882年4月27日-1957年1月2日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は中将。
第二次世界大戦に参戦したアメリカ海軍軍人の古株の一人で、太平洋戦争初期にアメリカ海軍の空母任務部隊を率いた提督の一人。ある程度の戦果を収めたものの、やがて前線から退き、戦争の大半の期間を「裏方」として過ごした。
ウィルソン・ブラウン・ジュニアは1882年4月27日にペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれる。海軍兵学校(アナポリス)に進み、1902年に卒業。卒業年次から「アナポリス1902年組」と呼称されたこの世代の同期にはジェームズ・リチャードソンがいる。成績はリチャードソンが5位で、ブラウンは44位だった。アナポリス卒業後、各種勤務を経たブラウンは、第一次世界大戦に派遣されたウィリアム・シムス大将のスタッフとなり、1918年には駆逐艦「パーカー」 (USS Parker, DD-48) の艦長を務める。
ルーズベルトとブラウン
|
|
生誕 |
1882年4月27日 フロリダ州 フィラデルフィア |
---|---|
死没 |
コネチカット州 ニューヘイブン |
1957年1月2日(74歳没)
所属組織 | アメリカ海軍 |
軍歴 | 1902 – 1945 |
最終階級 | 海軍中将 |
反応