ウェイン・フェレイラ
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ウェイン・リチャード・フェレイラ(Wayne Richard Ferreira, 1971年9月15日 – )は、南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ出身の男子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス6位、ダブルス9位で、シングルス・ダブルスとも世界トップ10に入った数少ない選手のひとりである。ATPツアーでシングルス15勝、ダブルス11勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長185cm、体重85kg。ポルトガル系南アフリカ人。
1989年にプロ入り。フェレイラの4大大会デビューは、1990年ウィンブルドン選手権であった。1991年全豪オープンでボリス・ベッカーとの4回戦に進出し、同年ATPツアーでダブルス2勝を挙げる。1992年にフェレイラは躍進し、全豪オープンでステファン・エドベリとの準決勝に進出した後、6月第2週にウィンブルドン前哨戦の1つであるクイーンズ・クラブ選手権の決勝で日本の松岡修造を6-3, 6-4で破り、男子ツアーのシングルス初優勝をここで決めた。同年7月末のバルセロナ五輪で、フェレイラは南アフリカ代表に選ばれ、ピート・ノーバルとペアを組んだ男子ダブルス部門で銀メダルを獲得した。1960年ローマ五輪を最後に、南アフリカ共和国はアパルトヘイトのためオリンピック出場資格を剥奪され、同政策が法的に廃止された後のバルセロナ五輪まで五輪復帰に32年を要した。フェレイラとノーバルのペアは、決勝でドイツのボリス・ベッカー/ミヒャエル・シュティヒ組に6-7, 6-4, 6-7, 3-6で敗れたが、こうして南アフリカにオリンピック復帰後最初のメダルをもたらした。オリンピックの後も、フェレイラは全米オープンでマイケル・チャンとの準々決勝まで勝ち上がり、1992年10月26日付の男子テニス世界ランキングで9位になった。この年は男子テニス国別対抗戦デビスカップ南アフリカ代表もデビスカップ復帰を認められた年である。
1994年にフェレイラは男子ツアーのシングルスで年間4勝を挙げ、ウィンブルドン選手権でトッド・マーティンとの準々決勝に進出した。ウィンブルドンでのフェレイラは、これが自己最高成績である。1995年もシングルスで年間4勝を挙げ、同年5月8日付で世界ランキングの自己最高位6位をマークした。1996年アトランタ五輪で2度目のオリンピックに出場し、男子シングルス・ダブルスの両部門でベスト8に進出した。シングルスの準々決勝ではアメリカのアンドレ・アガシに5-7, 6-4, 5-7で敗れ、エリス・フェレイラとペアを組んだダブルスの準々決勝ではオランダのヤッコ・エルティン/ポール・ハーフース組に6-7, 6-7で敗れている。しかし、1990年代後半はフェレイラの低迷期であった。1999年のジャパン・オープン・テニス選手権で、フェレイラは3年ぶりのツアー大会決勝進出を果たすが、ニコラス・キーファーに6-7, 5-7で敗れて準優勝になっている。3度目のオリンピック出場となった2000年シドニー五輪では、シングルス1回戦敗退に終わり、ダブルスには出場しなかった。
ウェイン・フェレイラは30歳代を迎えてから、2002年全豪オープンで久々に4大大会シングルスの好成績を出し、同大会で10年ぶりのベスト8に進出したが、マラト・サフィンとの準々決勝で第1セットを2-5で途中棄権してしまった。2003年全豪オープンで、フェレイラは準々決勝で¥フアン・カルロス・フェレーロを破り、11年ぶり2度目の準決勝進出を果たす。最後の大舞台では、第2シードのアンドレ・アガシに2-6, 2-6, 3-6のストレートで完敗した。2003年のシーズンに、フェレイラはシングルス・ダブルスとも最後のタイトルを獲得している。彼は2004年全米オープンまで4大大会男子シングルスに56大会連続出場を続け、男子選手としての史上最長記録を打ち立てた(この記録は2014年全豪オープンでロジャー・フェデラーによって更新された)。フェレイラは2004年のシーズンを最後に男子テニスツアーから引退した。
ウェイン・フェレイラ
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基本情報 | ||||||||||
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フルネーム | Wayne Richard Ferreira | |||||||||
国籍 | 南アフリカ共和国 | |||||||||
出身地 | ヨハネスブルグ | |||||||||
居住地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ラファイエット |
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生年月日 | 1971年9月15日(47歳) | |||||||||
身長 | 185cm | |||||||||
体重 | 85kg | |||||||||
利き手 | 右 | |||||||||
バックハンド | 両手打ち | |||||||||
ツアー経歴 | ||||||||||
デビュー年 | 1989年 | |||||||||
引退年 | 2005年 | |||||||||
ツアー通算 | 26勝 | |||||||||
シングルス | 15勝 | |||||||||
ダブルス | 11勝 | |||||||||
生涯通算成績 | 807勝540敗 | |||||||||
シングルス | 512勝330敗 | |||||||||
ダブルス | 295勝210敗 | |||||||||
生涯獲得賞金 | $9,969,617 | |||||||||
4大大会最高成績・シングルス | ||||||||||
全豪 | ベスト4(1992・2003) | |||||||||
全仏 | 4回戦(1996) | |||||||||
全英 | ベスト8(1994) | |||||||||
全米 | ベスト8(1992) | |||||||||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||
全豪 | 3回戦(1993・96・2000・01) | |||||||||
全仏 | ベスト8(2000) | |||||||||
全英 | ベスト4(1991・94) | |||||||||
全米 | ベスト4(1994・2000) | |||||||||
キャリア自己最高ランキング | ||||||||||
シングルス | 6位(1995年5月8日) | |||||||||
ダブルス | 9位(2001年3月19日) | |||||||||
獲得メダル | ||||||||||
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反応