ウディ・ストロード

ウディ・ストロード│無料動画│300px la mala ordina strode

ウディ・ストロード(Woody Strode, 1914年7月28日 – 1994年12月31日(1995年1月1日説も))は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の男優。

アメリカ映画界を代表する、黒人俳優の始祖、黒人男優の父と呼ばれている。

20代に入ってから映画と関わり始め、スタントマンを経験後に1940年代初頭から本格的に俳優として活動しはじめた。俳優ウディ・ストロードの生涯は、黒人俳優の歴史を紐解くことに等しい。この当時、黒人俳優は、台詞や役名はもちろん、国籍さえも与えられぬような曖昧なキャラクターばかりで、その大半が作品のファクターとなる役柄ではなく、その他大勢の兵士や労働者、悪党の郎党などといったものばかりであった。こうした理不尽な扱いしかされぬ黒人俳優を、彼は主役を引き立てる準主役という地位にまで引き上げたばかりか、黒人俳優が映画の主役を張るという現在ではごく普通となっている状況の下地を作る役割を果たしたことから、まさしく黒人男優の父祖的な存在といえる。

その発端は、まずストロードの魅力にあった。1940年代、デビューして間もなくおびただしい数の映画に出演を続けていた彼は、鍛えぬかれた筋肉質な肉体と野性味を宿した風貌を買われ、白人俳優には出せない貴重な個性として重宝され始める。1950年代に入り、型破りなスター、アイドル像が当たり前となった時代の到来で、ストロードはあえて彼らの引き立て役にとどまったばかりではなく、『カリブの海賊』(1952年)、『海底の大金塊』(1953年)、『非情のカード』(1954年)などのアドベンチャー的な作品でなくてはならない存在で鮮烈な印象を残した。特に、『スパルタカス』(1960年)の剣闘士ドラバ役が有名である。ストロードの知名度が上がる一方で、スクリーンでも黒人男優の存在感が次第に注目され始め後年、のストロードとは対照的なシドニー・ポワチエ、デンゼル・ワシントンらに代表されるのイメージの後継者たちが台頭してゆく。

1972年
生年月日 (1914-07-28) 1914年7月28日
没年月日 (1994-12-31) 1994年12月31日(80歳没)
出生地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
テンプレートを表示

反応