エリオット・バックマスター
エリオット・バックマスター(Elliott Buckmaster, 1889年10月19日 – 1976年10月10日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は中将。
キャリア中途で航空畑に転身した海軍士官の一人であり、太平洋戦争では空母「ヨークタウン」 (USS Yorktown, CV-5) 艦長として珊瑚海海戦やミッドウェー海戦などを戦う。しかし、航空歴の短い者を嫌う部下の古参航空士官との軋轢により、部下に指揮ぶりを批判されるという事態が発生した。ミッドウェー海戦で「ヨークタウン」を失ったあとは訓練などの後方支援任務にまわって海軍パイロットの大量育成に尽力し、戦争の勝利に陰から貢献する形となった。
エリオット・バックマスターは1889年10月19日、ブルックリンで父オーガスタス・ハーパー・バックマスターと母ヘレン・ガードナー・エリオット・マスターズとの間に生まれる。12歳のときに一家はバージニア州シャーロッツビルに引っ越す。1908年にバージニア州の推薦を受けてアナポリスに入学し、1912年に卒業。卒業年次から「アナポリス1912年組」と呼称されたこの世代の同期には、潜水艦部隊を率いたチャールズ・A・ロックウッド、海軍作戦部長になったルイス・デンフェルド、太平洋艦隊参謀長を務めた「ソック」チャールズ・マクモリス、ソロモン諸島の戦いでの水上戦闘で活躍したアーロン・S・メリルやカールトン・H・ライト、空母任務群を率いたアルフレッド・E・モントゴメリーやデウィット・C・ラムゼーらを輩出した[注釈 1]。
アナポリス卒業後、バックマスターは士官候補生として戦艦「ニュージャージー (USS New Jersey, BB-16) 配属となり、1914年のベラクルス戦役に参加。バックマスターは負傷者の救助を担当し、この功績でネイビー・アンド・マリーンコープス・メダルを授与された。中佐に昇進後の1934年、バックマスターは新鋭駆逐艦「ファラガット」 (USS Farragut, DD-348) の初代艦長を務める。その後は航空へ転科し、フロリダ州ペンサコーラの海軍飛行学校に入学。47歳時の1936年にパイロット免許を取得した。航空畑の人となったバックマスターは、空母「レキシントン」 (USS Lexington, CV-2) に配属されて副長を務める。1939年に大佐に昇進後は真珠湾内フォード島にある航空基地の司令となった。
大佐時代のバックマスター(1940年9月6日撮影)
|
|
渾名 | Buck |
---|---|
生誕 |
1889年10月19日 ニューヨーク ブルックリン区 |
死没 |
カリフォルニア州コロナド |
1976年10月10日(86歳没)
所属組織 | アメリカ海軍 |
軍歴 | 1908 – 1946 |
最終階級 |
海軍中将 リスト
|
反応