エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフ

エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフ│無料動画│220px ernst wilhelm wolf

エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフ(Ernst Wilhelm Wolf 1735年2月25日 受洗 – 1792年11月29日もしくは30日)は、ドイツの作曲家。

ヴォルフはテューリンゲン州のグロッセン・ベーリンゲン(英語版)(現ヘーゼルベルク=ハイニヒ(英語版))に生まれた。兄のエルンスト・フリードリヒはゴットフリート・ハインリヒ・シュテルツェルの下で学んだ作曲家、オルガニストであった。ヴォルフの音楽の才能は幼少期より明白であり、9歳にして既に熟達したハープシコード奏者であった彼はとりわけ数字付き低音の演奏に長じていた。アイゼナハとゴータのギムナジウムに通い、後者では合唱の監督生になっている。ゴータにおいてC.P.E.バッハとカール・ハインリヒ・グラウンの音楽に初めて触れることになるが、特にバッハの作品に魅了される。一方のバッハも1752年にヴォルフの作品から数曲の演奏を聴いて賛辞を贈っており、両者は互いに称えあう関係であった。2人の友情は生涯にわたって続くことになる。ヴォルフはバッハの「専門家とアマチュアのための[注 1]」作品への寄付金集めに協力している

兄の勧めに従い1755年にイェーナ大学に入学、学内で「collegium musicum」の指揮者に就任して同団体のために多数の作品を作曲した。3年後の1758年にライプツィヒ、さらにその後ナウムブルクへと移ってフォン・ポニッカウ家の音楽教師として働く。後年イタリアへの旅を決意するがヴァイマルで翻意し、残りの生涯をこの街で過ごす。最初の仕事はアンナ・アマーリア妃の息子たちに音楽を教えることだったが、1761年に宮廷コンサートマスター、1763年にオルガニスト、そして1772年にカペルマイスターとなった。1770年には著名なボヘミアのヴァイオリニストであったフランツ・ベンダの娘であるマリア・カロリーナ・ベンダと結婚している。ヴォルフはある時プロイセン王フリードリヒ2世からC.P.E.バッハの後任を打診されているがこれを辞退しており、おそらくアンナ・アマーリアに丸め込まれたものと思われる。晩年は活動が停滞し、徐々にふさぎ込むようになっていった。発作を機に健康状態が悪化し、1792年の暮れにこの世を去った

1770年頃
基本情報
生誕 1735年2月25日 受洗
神聖ローマ帝国 グロッセン・ベーリンゲン
死没 (1792-11-29) 1792年11月29日(57歳没)
神聖ローマ帝国 ヴァイマル
ジャンル クラシック
職業 作曲家

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