オットー・エルンスト・レーマー
オットー・エルンスト・レーマー(Otto Ernst Remer, 1912年8月18日 – 1997年10月4日)は、ドイツの軍人。少将。ドイツ国防軍最年少の将軍の一人で総統護衛旅団司令官。第二次世界大戦後はホロコースト否認論者として活動し、ナチス残党のゴッドファーザーと呼ばれた。
ノイブランデンブルクのプロテスタントの家庭に生まれる。家庭環境から、幼少時より軍人を志す。13歳で青年団活動に参加して頭角を現し、軍への入隊志願の際には陸軍の長老アウグスト・フォン・マッケンゼン元帥が骨折りの労を取ったほどである。1933年、士官候補生として第4歩兵連隊に配属される。二度結婚し、最初の妻との間に二男一女をもうけた。
1945年1月
|
|
生誕 |
1912年8月18日 ドイツ帝国 プロイセン王国 ノイブランデンブルク |
---|---|
死没 |
スペイン アンダルシア州 マルベーリャ |
1997年10月4日(85歳没)
所属組織 |
ヴァイマル共和国軍 ドイツ国防軍陸軍 |
軍歴 | 1933年 – 1945年 |
最終階級 | 少将 |
反応