オットー・クレッチマー
オットー・クレッチマー(Otto Kretschmer, 1912年5月1日 – 1998年8月5日)は、ドイツ海軍の軍人。第二次世界大戦における著名なUボートの指揮官であり、最も戦果を挙げたエース・オブ・ザ・ディープ(Aces of the Deep)である。
1939年9月から捕虜となった1941年3月まで、計44隻256,684トンの艦船を沈め、この功により、剣付柏葉騎士鉄十字章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub und Schwertern)を授かっている。クレッチマーは「静かなるオットー」(der ruhige Otto)の異名をとった。これは、Uボートの指揮においてサイレント・ランニング(モーターの回転数を落とし、乗員に一切の音を出さないように徹底させる命令)の手腕を巧みに発揮していたことや、ナチスのプロパガンダ報道に取り上げられることを忌避していたことがその理由とされる。
クレッチマーはリーグニッツ(レグニツァ)のハイダウ(Heidau)で生まれた。1930年10月9日にドイツ海軍の海軍兵学校(Seekadett)に入校し、1934年10月1日、少尉に任官。1934年12月から1936年1月にUボート部隊に転任となるまで、軽巡洋艦ケルン(Köln)に乗艦した。その際、幹部候補生としての教育を受け、1936年7月1日付けで海軍中尉へ昇進している。
渾名 | 静かなるオットー(der ruhige Otto) |
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生誕 |
1912年5月1日 ドイツ帝国 リーグニッツ |
死没 |
1998年8月5日 ドイツ連邦共和国 シュトラウビング |
所属組織 |
ヴァイマル共和国海軍(Reichsmarine) ドイツ国防軍海軍(Kriegsmarine) ドイツ連邦海軍(Bundesmarine) |
最終階級 |
海軍中佐(Fregattenkapitän) 海軍准将(Flotillenadmiral) |
反応