カール・クリントヴォルト
カール・クリントヴォルト(Karl Klindworth, 1830年9月25日 ハノーファー – 1916年7月27日 オラニエンブルク近郊シュトルペ)はドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者・音楽教師。初期の献身的なワグネリアンとしてドイツ音楽史で言及される。
ハノーファー生まれ。一時期オペラ団の巡業に従い指揮者を務めたが、ハノーファーに定住して教師や作曲家として活動する。1852年にヴァイマルに行き、フランツ・リストにピアノの指導を受け、リヒャルト・ワーグナーとも親交を結ぶ。この頃の門人にハンス・フォン・ビューローやウィリアム・メーソンがいる。
1854年にロンドンに行き、それから14年の間、研究者や教育者として過ごし、時折り公開演奏を行なった。1868年にロンドンからモスクワに直行し、モスクワ音楽院ピアノ科の教授に就任。ロシア滞在中に、(1855年のワーグナーの訪英以来の懸案であった)《指環》四部作のピアノ用編曲を完成させる。また、フレデリック・ショパンの学術校訂版も完成させている。
1882年に、ヨーゼフ・ヨアヒムやフランツ・ヴュルナーと共同で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任する。また、ベルリン・ワーグナー協会の会長にも就任した。この頃にはクリントヴォルト音楽学校(Klindworths Musikschule,後のクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院[Klindworth-Scharwenka Conservatoir]の前身)を開設した。1892年までベルリンに過ごした後、同年ポツダムに隠退し、教育活動に専念した。ベルリン時代の門弟に、ゲオルギー・カトゥアールの名が挙げられる。
基本情報 | |
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生誕 |
1830年9月25日 ハノーファー王国、ハノーファー |
死没 |
ドイツ帝国、シュトルペ |
1916年7月27日(85歳没)
職業 | 作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教師 |
反応