カール・ハインリヒ・グラウン
カール・ハインリヒ・グラウン(Carl Heinrich Graun, 1704年5月7日 – 1759年8月8日)は、ドイツ人作曲家・声楽家。ヨハン・アドルフ・ハッセと並んで、イタリア・オペラの卓越した作曲家として同時代に知られていた。兄ヨハン・ゴットリープ・グラウンも作曲家で、ヴァイオリンのヴィルトゥオーソとしても知られた。
ブランデンブルク選帝侯領のヴァーレンブリュックに生まれる。1714年、兄のヨハン・ゴットリープにつづいてドレスデンの十字架教会合唱団に加わる。そこに1721年まで在籍していたことが確認されている一方で、1718年からはライプツィヒ大学に学籍登録していたことが分かっている。このころから本格的に歌唱と作曲の基礎教育を受けたものと思われ、1719年にはドレスデンでロッティのオペラ『テオファーネ』の上演に合唱隊員として参加したほか、1723年には後にベルリンの宮廷で同僚となるクヴァンツ、フランツ・ベンダらと共に、プラハでフックスのオペラ『コンスタンツァとフォルテッツァ』の上演に参加したことが分かっている。そのほか、アグリーコラによって書かれたと考えられるグラウンの生涯に関する報告によれば、この頃すでにドレスデンの十字架教会合唱団のためにカンタータやモテットを作曲していたようであるが、これらに該当すると考えられる作品は今日伝承されていない。
基本情報 | |
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生誕 |
1704年5月7日 神聖ローマ帝国 / プロイセン王国 ブランデンブルク選帝侯領、ヴァーレンブリュック |
死没 |
神聖ローマ帝国 / プロイセン王国 ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン |
1759年8月8日(55歳没)
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
作曲家 声楽家 |
反応