クリメント・ヴォロシーロフ
クリメント・エフレモヴィチ・ヴォロシーロフ(ロシア語: Климент Ефремович Ворошилов、ラテン文字転写の例:Kliment Yefremovich Voroshilov、1881年2月4日 – 1969年12月2日)は、ソビエト連邦の軍人、政治家、ソ連邦元帥、ソ連国防大臣、国家元首に当たる最高会議幹部会議長を歴任した。ソ連邦英雄(2度)、社会主義労働英雄(1度)。
1881年2月4日(ユリウス暦1月23日)、ロシア帝国時代のウクライナのエカテリーノスラフ県ヴェルフニェー村(現在のルハーンシク州ルィスィチャーンシク)にて、ロシア人の鉄道労働者の家庭に生まれる。工場で働いていたが、1896年、ストライキに参加したことで解雇され、ストライキを扇動したために逮捕されるも釈放。1905年にボリシェヴィキに入党し、ストックホルムで開かれたロシア社会民主労働党第4回大会に代表として出席する。このとき、ウラジーミル・レーニンやヨシフ・スターリンと知り合う。1907年には、ロンドンの第5回大会にも出席し、ミハイル・フルンゼ、ミハイル・カリーニンらとも知り合う。同年に逮捕され、アルハンゲリスク州に追放されるも1913年に恩赦となった。
クリメント・ヴォロシーロフ(1937年)
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生誕 |
ロシア帝国、ヴェルフニェー・エカテリーノスラフ県 |
1881年2月4日
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死没 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
1969年12月2日(88歳没)
所属組織 | 赤軍 |
軍歴 | 1903年 — 1960年 |
最終階級 | ソ連邦元帥 |
墓所 | クレムリン城壁共同墓地(en) |
署名 |
反応