クルト・マイヤー
クルト・マイヤー(Kurt Meyer, 1910年12月23日 – 1961年12月23日)は、ドイツの軍人。第二次世界大戦中に最年少で武装親衛隊少将となる。装甲部隊を率いて敢闘し、「パンツァーマイヤー(Panzermeyer)」のあだ名で敵味方に広く知られた。終戦後は戦争犯罪により死刑判決を受けるが、後に減刑され釈放された。
ドイツ帝国領邦ブラウンシュヴァイク公国イェルクスハイム(de:Jerxheim)に工場労働者の息子として生まれる。父は第一次世界大戦で戦死した。
家計が貧しかったため教育を受けるのを断念して鉱山採掘所で働いていた。その後1929年から1934年までメクレンブルク州の州警察に警察官として勤務した。警察では上級巡査(Oberwachtmeister)まで昇進。
マイヤー(1943年2月)
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渾名 | パンツァーマイヤー |
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生誕 |
1910年12月23日 ドイツ帝国 ブラウンシュヴァイク公国 イェルクスハイム |
死没 |
西ドイツ ノルトライン=ヴェストファーレン州 ハーゲン |
1961年12月23日(51歳没)
所属組織 | 武装親衛隊 |
軍歴 | 1930年 – 1945年 |
最終階級 | 親衛隊少将 |
反応